2006年09月24日

博士の愛した数式

 2005年に公開された映画には失われる記憶をテーマにした作品群が多かったので(例:君に読む物語、エターナルサンシャインフォーガットン私の頭の中の消しゴム50回目のファーストキス)、そのため同じような雰囲気を漂わせるこの映画にはそれほど興味がなかったのです。

なのですが、今は読書の秋と呼ばれる季節ということで、周りの人が手にしている本の題名を聞いてみると、この映画の原作本を読んでいる人が3名もいたのです。その理由を知るために、本を読むのは面倒なので映画を観ることで手短に済ませようと思ったaliasなのでした(おいおい)。


博士の愛した数式
博士の愛した数式



 物語は、かつて“√”(ルート)と呼ばれた少年が教師となり、新しく赴任した高校で生徒たちに数学の楽しさを知ってもらうために、最初の授業で数学に出会ったきっかけを話すところから始まる。当時10歳の少年だった√は家政婦として働く母との母子家庭で育った。交通事故の後遺症で記憶を維持できない天才数学博士の家で母は働くが、やがて√も教授の家に招かれるようになった。脳に損傷を受け事故以降の新しい記憶が80分で抜け落ちてしまうため、彼と会ったときはいつも初対面の時と同じことを繰り返さなければならないが、博士との会話には学校の授業では聞けないような数学の不思議さ、美しさ、奥深さを教えてくれた。そして…。


 理系の教授といえば眼鏡をかけた偏屈なおじさんというキャラクターが映画やドラマの中では普遍的ですが、この物語に出てくる教授はそんな堅苦しい人ではないのです。

彼の周りにはいつも数学があふれ、会話の中に出てくる数字について配列の美しさ、数字の共通点などを解りやすく教えてくれるのです(子供時代にこんな先生がいたら数学がきっと好きになってたよな〜と思わされる人なのです)。愛すべき人格を持つ教授、そしてわずかな間しか記憶を保てない博士を気遣う周囲の人たち、やさしさや人の善意が満ち溢れる物語なのです。


 で、映画を観ていて気になるのが、会話の中に出てくる数学の話がわかりやす過ぎる内容ばかりなのです(原作はもう少し掘り下げている内容なのかもしれませんけどね)。

さらに√くんが高校生に話をするときに、文字や図形などが書かれたいろいろな小道具を出して説明するのですが、それがみのもんたさんが“午後は○○思いッきりテレビ”でフリップを読み上げながら健康食品に付いて語るように、√くんが新任教師として生徒の心をつかむために予め用意している、いつものネタのようにしか見えないところなのです(おいおい)。


 そんなことが気になってしまったため、この映画の世界観にうまく溶け込めなかったのです。

なので、周りの人たちと同じように本を読んでみよっと! と、思ったaliasなのでした。



博士の愛した数式
博士の愛した数式

2006年09月21日

機動戦士Zガンダム III -星の鼓動は愛-

 テレビシリーズを見たことがなかったaliasなのですが、ふとしたきっかけで観始めた新約と呼ばれる機動戦士Zガンダムの映画版も、ついに最終章を迎えたのです。

1作目の“星を継ぐもの”は、主人公はカミーユ君という新シリーズ用のキャラクターになっているものの、ファーストガンダムで活躍していたモビルスーツの面影、シャア・アズナブル、アムロ・レイ、カイ、ハヤト、ブライト、カツ・レツ・キッカなどの初代キャラクターの10年後の姿を画くことで、前作で築き上げたものに頼りながら物語を作り上げていたようなイメージがあったのです。

2作目の“恋人たち”は副題にも書いてあるとおり、恋愛をテーマに画いているのですが、現実の世界ではありえないような薄っぺらい恋愛しか画いていなかった印象を受けたのです。

そして、予算がなかったためか原画も20年前のものをかなり使いまわし、1時間半ほどの上映時間にテレビシリーズの要素を無理やり詰め込んだようなダイジェスト版のような作品だったのです。

テレビシリーズに思い入れがあり何度も見ている人は、まどろっこしい展開なんて要らないから物語を早く展開させて欲しい!と思うのかもしれませんが、初めて観るaliasとしては展開の早さに追いつけないのに、瞬く間に終わってしまう短い映画だったのです。


 で、そんな話をアニオタを自称する友人に話してみると、

「サンライズが製作するテレビアニメシリーズは今までに何度も映画化した実績があるねんだけど、いつも50話近くあるテレビシリーズを1時間半ぐらいの1話完結型の映画にしてしまうねん。だから、それと比べれば3作に分けるほど余裕のある映画やから、まだマシな方やで!」

だそうです(そんな比較論で話されてもな〜)。



 で、映画の本題なのですが(今頃かよ!)、

ティターンズの権力集約を狙うシロッコ、旧ジオン軍の残党でザビ家の復興を狙うアクシズのハマーン・カーンらが、カミーユ、シャアが所属する反地球組織エゥーゴの前に巨大な敵として立ちはだかり、三つ巴の戦いが始まる。最終作にふさわしく、破壊的に進む絶望的な物語の展開の中、さまざまなキャラクターが無様に、そしてドラマティックに死んでゆく。そして…


 テレビシリーズにはまっていた友人によると、

「新約Zって最後だけじゃん!w。それにフォーはどこに行ったんだ?とかツッコミどころ満載ww。初見で観ただけでは絶対理解不可能www。」

だそうです(何のために公開したのか解らない、謎多き作品という感想だったようです)。


 ラストシーンの変更やオリジナルを大幅にカットしているため原作のイメージが壊れるということで悪評も聞かれる作品なのですが(新約だから仕方ないと思うんですけどね)、この映画のシリーズでZガンダムを知ったaliasにはこの作品に関しては意外と好印象だったのです。

相変わらず画面には新旧の映像が入り混じっているのですが、今回は新しく書き直したものが大幅に増えているためか画面から迫力も伝わってくるのです。そして前回まではファーストシリーズのザビ家の人々やレビル将軍のような大人の倫理観念を持つキャラクターがいなかったのですが、今回はシロッコさんやザビ家の復興を狙うハマーン・カーンさんらがそれを代替し物語に重みを加えていたのです。

で気になるのが、原作を大幅にカットしたそうなので前回までと比べれば速すぎる展開の物語にはなっていないのですが、ストーリーには日常のシーンが少なくほとんど戦闘シーンで展開されるのです。そのため物語の進行に必要な敵との会話をコックピット内で成立させるために、ニュータイプの能力を敵と会話するための通信機の役割としてしか使っていなかったことなのです(おいおい)。


 なのですが、初代ガンダムの“めぐりあい宇宙”の時と同じように、このZガンダムもシリーズ最終作が一番完成度の高い作品になっているという印象を受けたaliasなのでした。



機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-
機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-

2006年09月17日

映画ドラえもん のび太の恐竜2006

 子供の頃には、ドラえもん映画のシリーズはテレビやビデオで何度も見た記憶があったのですが、物語に魅せられ感動のフィナーレが流れるころに、なぜか武田鉄矢さんの歌声が流れてきてしまうので、それまでの感動がぶち壊された記憶もあったので(武田鉄矢さんのファンの方に怒られるぞ!)、スキマスイッチさんの曲に変わったことだけでも、この映画を観に行きたいと思ったaliasなのでした(おいおい)。

で、当初は公開日に映画館へ観に行こうと思ったのですが、自分が映画を観ていた頃と同じ年齢の子供たちばかりが並んでいる姿を見たときに劇場に入ることに怖気ついてしまい、結局、映画館には入れずDVDになるまで観る事ができなかったaliasなのです。


 物語は、スネ夫が自慢げに見せていた恐竜の化石を見て、対抗心からのび太は裏山に登り化石の発掘を始める。そして、のび太が見つけたのは首長竜の卵だった。ドラえもんの道具で卵の孵化を成功させ恐竜に“ピー助”と名付けたが、日ごとに大きく成長していくピー助を隠しながら現代の日本で飼うことには限界があった。のび太は元の時代に戻すことを決心するが、そこには未来からやってきた恐竜ハンターの影が忍び寄っていた。そして…。


 この映画で取り扱われるタケコプターのシーンはいつものテレビバージョンとはぜんぜんと違うのです。まるでその道具を始めて使ったときのように、空へ飛ぶことへの不安や期待、興奮などが入り混じる心理描写が画かれ、タケコプター自体もこの映画の中ではバイクのように生々しいエンジン音、空を飛ぶことの難しさ、道具へのメンテナンスの重要さなどの細部まで画かれ、これがドラえもんの映画なのか?と思うほど疾走感や迫力があるクオリティの高いシーンに仕上げていました。

そんなタケコプターの空に舞い上がる映像やタイムマシーンで敵とスピードレースをするシーン、恐竜の格闘戦などの精魂こめた迫力あるシーンが数多く画かれるのですが、その一方アクション展開のない日常のシーンは別物に見えるぐらい普通過ぎる映像なのです。簡単に言うと、作画の人がメカ担当や恐竜担当、あまり動きのない日常のシーンごとに別々のスタジオで作られ、それを後からつなぎ合せたような映像になっていたのです。そして藤子・F・不二雄さんの昔懐かしい二次元的なキャラクターと、現代のアニメ技術やCGを駆使して細部まで画かれる背景とがあまり融合せず、不自然な違和感が残るのです。

印象としては感動のシーンやアクションシーン、お笑いのシーン、そしてしずかちゃんの入浴シーン(ドラえもん映画の必須なのです)など、一つ一つのシーンのクオリティは高いのですが、統一性のない映画という印象を受けるのです。


 なので、リメイク1作目の次世代のドラえもん映画として、これからどのような方向に位置づけていくのか?スタッフサイドの迷いが、映像にも出てしまった結果なのかもしれません。

次の作品はこの映画の反響を踏まえた完成度の高い映画に仕上がると思われるので(リメイク第二弾になると予想される“のび太の宇宙開拓史”はaliasが一番好きな作品でもあったので、その意味も込めてさらに期待しているのです)、次回以降の作品が楽しみなシリーズなのでした。



映画ドラえもん のび太の恐竜 2006
映画ドラえもん のび太の恐竜 2006

で、そんなこんながありまして、続きを読む?

2006年09月14日

ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT

 前作までのシリーズはアメリカを舞台にしたスピードに心奪われた走り屋な人たちと、麻薬やギャングなどの要素が絡んでくるお話だったのですが、映画の中に出てくる車がほとんど日本車ばかりだったので、aliasには不自然な違和感があったことを記憶として残っていたのです。そして、その映画のシリーズ最新作がついに日本を舞台にして繰り広げられることになったのです。

ということで、この映画には妻夫木聡さんも出演し、彼のハリウッドデビュー作品として大々的に予告やワイドショーなどで彼の出演しているシーンを流していましたが、それが彼のハリウッドデビュー作品の全出演シーンでもあったのです(笑)。


 物語は、高校生のショーン・ボスウェル(ルーカス・ブラック)はいつもやり場のない不満を抱えていた。そして、周囲と問題を起こすたびに母親と逃げ出すように転校を重ね、カリフォルニアへ流れ着いた。クラスの中でも浮いていた存在だった彼は同級生との派手なカーチェイスで大事故を起こしてしまった。ついに母親に見放された彼は日本の米軍基地で働いている父親預けられ、車には乗らないことを約束させられる。学生服を着て日本の高校に通う生活が始まるが、友人と街へに出かけたときに、立体駐車場内のスロープを使いレースをしているDK(ドリフト・キング)に出会う。そして…。


 題名にも書いてあるのですが、日本が発祥の地とされるドリフトといわれるドライビング・テクニックが重要に扱われる物語なのです。ちなみにドリフトとはカーブに進入した際、遠心力を使いタイヤと地面の摩擦係数の限度を意図的に超えさせて、車体と進行方向にズレが出た状態で車をスライドさせながら車の挙動をコントロールするテクニックのことなのです(余計分かりにくい説明かも?)。

で、狭い日本なのでワイルドにスピードを出せる直線の道路が少ないため、タイトなコーナーなどを走行するために旋回能力を生かしたドリフト走行でレースをする映像が多いのですが、それが技術に裏打ちされた職人芸のようなキレイな走行に見えるので、そのことが映画の画面からワイルドなスピード感を感じさせないのです。さらに、ドリフト走行で峠を攻めるシーンには頭文字Dなどの走り屋の物語で、日本人としては見飽きてしまってもいるのです。

なのですが、東京の中心部で一般車両を強引に追い越しながら、追いつ追われつの公道レースをするシーンがあるのです。普段テレビなどで映し出される東京の町並みがドラマチックに画かれ、この映画最大の見せ場となる迫力ある映像になっていました。さすが石原都知事!こんな危険な撮影に許可をだすのか!!と思っていたのですが、資料を調べてみるとCGで作られた映像だったそうです(この映画の一番の見所だったのに…)。


 でも、この映画の本当のお楽しみはそんなカーチェイスや最新型の車、フルチューンされた車が出てくることではないのです。

日本語が話せない主人公なのに詰襟の学生服を着て普通の高校に通ったり(普通はアメリカンスクールとかに通うんじゃ…)、アメリカの軍で働いている父親が下町の古い一戸建ての家に住んでいたり(普通は基地内か、軍から提供されたマンションに住むようなイメージが…)、映画の中で主人公は“ウワバキ”という日本語以外は話さなかったり(この映画では重要なセリフなのです)、これらに代表されるツッコミどころ満載の不自然なシーンが、この映画の最大の見所なのです(おいおい)。

車のバトルシーンも楽しめるのですが、昭和の時代に戻ってしまったような日本に画く不思議なドラマ展開が楽しめる映画なのでした。



ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT
ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT

2006年09月10日

僕の、世界の中心は、君だ。

 “世界の中心で、愛をさけぶ”の韓国版なのです。CMなどでは日本版の主題歌だった平井賢さんの“瞳をとじて”をチャ・テヒョンさんがカラオケのように熱唱している曲が流れていましたが(チャ・テヒョンファンの方に怒られるぞ!)、セカチュウと言えばこの曲が必要だという理由で日本公開のためだけに無理やり作られたそうなので、映画の本編には流れないのです。

そして、題名を見ても分かるのですが、句読点を不自然な所に入れることにより世界の中心という単語を際立たせたり、映画の略称もセカチュウに対抗して、ボクチュウ、ボクセカなどの略称を浸透させようとして映画会社の方々は二番煎じを狙ってようなのです(ちなみに公式サイトのアドレスはボクキミになっていました)。結局、この映画はあまりヒットしなかったので、この曲もこの愛称も人々にはあまり浸透しなかったようなのです(おいおい)。


 物語は、平凡な高校生の男の子と、クラスのマドンナとの恋の物語なのです。
何の特徴もない男の子に、なぜかその女の子は中学生の頃から思い寄せていた。彼に対して何度もアプローチをするが、彼は彼女の好意にさえ気付いてくれない。そして、彼女が勇気をだしてポケベルに愛のメッセージを入れたことで、ついに二人の恋は始まった。やがて、二人の恋愛は順調に歩み始めるが、すでに本人も気付いていないところで病魔が彼女を蝕み始めてもいた。そして二人で初めて出かけた旅行先で…。


 この物語の冒頭は10年後の同窓会のところから始まるのですが、高校時代も10年後のシーンも主人公のチャ・テヒョンさんは髪型が違うこと以外メイクも変えていない役作りなので、笑えるくらい違和感があるのです(やっぱり、30才前後に人に高校生役をさせるのには無理があるのです)。でも、この映画は日本版とは違い、10年後の回想に浸るシーンをほとんど使わず高校時代のシーンをメインに進めるため、それほど気にはならなかった役作りなのでした(とりあえず、ヒロインのソン・ヘギョさんがかわいかったのだけは確かなのです)。


 で、aliasが一番気になっていたことは、日本版の物語のラストではオーストラリアにあるエアーズロックへ向かい彼女の遺灰を世界の中心で撒くはずだったのに、途中の車がパンクしてしまったことろで、なぜかそこで彼女の遺灰を撒いてしまったのです。つまり物語としては“世界の中心の近くで、愛をさけぶ”という作品になってしまったのです(原作ファンの人に怒られるって!)。

なので、韓国版では世界の中心とされるエアーズロックまでたどり着けるのか?ということを注目して観ていたのです。でもこの作品はオーストラリアには行かず、世界の中心は韓国だったという物語に仕上げてきたのです(違うだろ!!)。


 実は、この映画には遺灰というキーワードが出てこないため世界の中心として設定されていたオーストリアにまで行く必要はなく、二人で出かけた旅行先に彼女の思い出のかけらが残っていたのです。そしてラストでは、僕の世界の中心は君だったという物語に仕上げてきたのです。

この作品は日本版ほどインパクトのないお話になってしまっていることや、映画で使われた旅行先の島について政治的な批判(日本の一部地域では公開もされていないのです)など、いろいろ言われているため評判が良くないようですが、物語自体は余計なものを取り除きシンプルに脚本を構築したため、意外と恋愛物語の王道になっている映画なのでした。



僕の、世界の中心は、君だ。 特別版
僕の、世界の中心は、君だ。 特別版

2006年08月31日

男たちの大和/YAMATO

 男たちの大和って題名にしても、主題歌が長渕剛さんってことにしても、なんて男くさい映画なんだろうと思っていたのですが、映画館で観た時は普段見かけないような年齢層の高い人々の比率が大変高かったので、なんて祁kぅ艪lpれミlなんだろうと思いました(あれ?文字化けしちゃった!)。

そして未だにレンタルビデオ屋さんでも常に貸し出し中になっているので、寂しそうに肩を落としている老人の方々の後姿をよく見かけるのです。


 日本の第二次世界大戦の事を教えられてきた人のほとんどが知っている大和の沈没という事実。
この悲惨な結末が分かっていることに対してどのような物語を構築してくるのかと思っていたら、反町隆史さんには烹事所班長(炊事のことです)、中村獅堂さんには機銃射手と普通の軍事映画では持ってこないような人々を主人公にしていました。あえて花形の砲撃手や艦長を主人公にしなかったことにより、一般兵士達の生き様などが生々しく伝わってくるのです。

そして悲惨な大和の沈没のシーンが画かれたところで物語が終わるのではなく、その時代を生きて来た人々の戦争への決着、人生においての決着まで画いているところに哀愁のようなものを感じさせられました。


 この映画は公開12日目で100万人を超えて、23日目で200万人を突破した異例の観客動員数なのです。東映映画中最速の観客動員だったそうで、昔からあった映画という媒体でこの時代にこんな記録を打ち立てたということに驚きました。

お正月公開作品だったこともありますが、一年に数度しか映画を観る人だけでなく、映画を観に行かない層の人間まで動員したことがヒットの要因なのかもしれません。最近では珍しく、映画館ではエンドロールが流れた後も映画について語り合っている人々がたくさんいたのです。


そんな映画なのに、この作品の公式サイトではプレゼントなどと引き換えてもらえるポイントに、

候補生 少尉 中尉 大尉 少佐 中佐 大佐 少将 中将 大将


などの階級システムというのを採用しているのです。映画を見てからこのサイトを見たらこの物語を冒涜してるのか?と広報担当の人のセンスを疑いたくなったaliasなのでした(おいおい)。



男たちの大和 / YAMATO
男たちの大和 / YAMATO




2006年07月09日

SAYURI

 1997年に出版され全米で大ヒットしたベストセラー“The Memoirs of Geisha”の映画化です。と言うより、渡辺謙さんや役所広司さん、チャン・ツィイーさんで覚えている人の方が多いでしょうね。

海外の日本を扱った映画やドラマなどを観ていると、中国や韓国の文化が入り混じったような設定になっている場合が多いので、未だに日本って海外からはあまり理解されていないんだな〜と幻滅してしまうような初歩的ミスをしている作品が多いのですが、今回は着付け的なミスぐらいだったのです。(でも、気になりだすと、そこにばかり目が行くのです)。なのですが、この映画は表面的な部分だけでなく、社会背景から日本人の心情までよく研究されていました。


 で、やっぱり比べてしまうのがトム・クルーズさんの“ラストサムライ”なのです。この作品は非常に日本の風土を研究して日本人の心に響くような義理や人情、武士道などをテーマに画いていたので、

同じレベルの作品を、なんで日本でも制作できないんだ!


と、映画を見終わった直後には思っていたのですが、よく考えると年末年始に放送している時代劇スペシャルとかには、外国人が出てくる点を除けばこういった作品は数多くあるような気が…。

きっと、あの映画に感動していた人々は普段から時代劇を見ていない若者や、ハリウッドが日本の武士道をここまで理解してくれたことに対して評価をしていたのでしょうね。それに、トム・クルーズさんが演じていたからこそ日本ではヒットしたんだと思います。


 なので、今回もそんな日本でよく見かけるような時代劇な映画かな〜と思いながら観ていたのですが、やっぱり日本でよく見かけるような設定でした(おいおい)。

でもそこはハリウッド作品なのです。親に身を売られてしまった少女が、かなわぬ恋心を抱いたまま厳しい芸者の世界でトップになるだけの映画なのですが、ストーリーはテンポよく進み観客を飽きさせない展開なので、2時間を越える映画だったのに瞬く間にラストを迎える楽しめた作品なのです。

映画の中では、さゆり役のチャン・ツィイーさんと子役の大後寿々花さんが特に美しく画かれているのですが(もちろん、チャンツィーさんの容姿がかわいいことも重要な要素ですが、彼女が舞う姿はいつ見ても美しいのです)、物語は芸者の女性ばかりが出てくる世界なので、そこには大奥の中のような女性同士の意地の張り合いなども画かれるのです。その中でもライバル役のコン・リーさんとの戦いは必見なのです。

表面はしとやかにしていても、見えないオーラと言うか、見えない光線のようなもので火花を散らす女性同士の冷戦が幾度も繰り広げられるのですが、二人は現実の世界でも“HERO”や“LOVERS”のチャン・イーモウ監督の新・旧の恋人関係としても争っていたのです(旧:コン・リー、新:チャン・ツィイー)。それを思い出しながら映画を観ると、二人の争いがさら生々しく見えてくるのです(笑えない)。


 ラストサムライは日本ではヒットしましたが、“一人の将校を神格化して扱うのはおかしい!”と海外では酷評され興行成績も低迷しました。この作品も海外ではどんな風に評価されるのかは判りませんが、言語が日本語じゃなくても、主役が日本人じゃなくても、日本の時代劇の世界観はハリウッドでも再現できるんだ!という驚きが率直な感想なのです。

今回は吹替版までは観ている暇がなかったのですが、映画の日本語吹き替えは日本の役者さんが出演しているところは、すべて本人が声優として演じていたそうです(なので、テレビでオンエアーされるまでの楽しみにしよっと!)。

それにしても桃井かおりさんは、英語で演技をしてもあのキャラのままな桃井かおりさんなのでした。



SAYURI
SAYURI

2006年07月06日

サイレントヒル

 先日行なわれたこの映画の一般試写会では、題名がサイレントヒルということなので、芸能レポーターの井上公造さんや駒井千佳子さんらが出席して、テレビでは言えない芸能界の裏情報である“サイレント話”を公開していたようです(おいおい)。

こんな宣伝展開をしている物語なのですが、バイオハザードと人気を二分するほどのゲームである同名作品を映画化した作品だそうです。バイオハザードを映画化したときはミラ・ジョヴォヴィッチさんによるアクション映画になりましたが、この作品はホラー映画として映像化されました。通常、ホラー映画は90分ぐらいの上映時間のものが多いのですが、この作品は2時間を越える126分もの作品となっていました。


 物語は、一人娘のシェリル(ジョレル・フェレランド)は夢遊病になっていた。夜中に外を徘徊する娘を両親が見つけたときに、意識のない彼女がいつも口にするのはサイレントヒルという言葉だった。母親であるローズ(ラダ・ミッチェル)がサイレントヒルというキーワードを調べていくと、それは30年前の火災事故で廃墟と化した街の名前のことだと分かる。その街へ行けば何かが分かるはずだと思い、引き止める夫(ショーン・ビーン)の制止を振り切りローズは娘と共に乗り込んだ。しかし、街には入ったところで運転を誤り事故を起こしてしまう。事故のショックで気絶していたローズが目覚めたときに娘はどこかへ消えていた。周りを見渡すが、静寂で廃墟と化したこの街には人影さえも見当たらない。娘を探しながらこの閉鎖された空間の奥へと向かうが、静かだった空間にいきなりサイレンの音が鳴り響く。そして…


 この映画は、血や手足が飛び散るような残虐性だけを追求した作品ではなく、Jホラーの貞子さんや伽椰子さんのような得体の知れないものへの恐怖も画かれています。

クリストフ・ガンズ監督はこのゲームのことを気に入って映画化したといわれるだけあって、まるでゲームをプレイしているように物語は展開され、時間が進むと共に物語の中でのルールや世界観が分かっていき、観客は先の読めない展開と恐怖で驚かされるのです。

そして、後から追いかけてくる夫と娘を探す母親の二つの視点で画かれる手法にうまさも感じるのですが、霧に包まれた幻想的な風景でサイレンが鳴り響いた後に、蜘蛛の子を散らすようにその景色が侵食されていき異世界へと引き込まれるシーンをには圧巻でした。やがて、ストーリーの後半になる頃には直接的で残虐なシーンも出てきて、物語はとんでもない局面へと向かうのです(まさにR指定の必要さが感じられる作品なのです)。


 で、少し気になるのがこの映画では監督がゲームへのリスペクトをし過ぎていて、アイテムを手に入れて次のシーンへ進むようなシーンやボスキャラなど、ゲームでは当たり前のように使われるシーンやギミックなどが、この映画の中では少し不自然に見えるのが残念なのです。なので、そういったゲームへのオマージュしたシーンを除けば90分ぐらいの作品にできたのでは…?

でも、ホラーのレベル自体がかなり高いので一人で観に行くのは無理なくらい恐ろしい作品なのです(そもそも、ホラー映画を一人で観に行く人はいるのかな?)。


 ということで、ホラー映画で2時間を越えると心理的にきついと思ったaliasなのでした。



サイレントヒル
サイレントヒル

2006年07月02日

ティム・バートンのコープス・ブライド

 (ある意味で)子供も楽しめるファンタジー作品として大人気だったティム・バートン監督の“チャーリーとチョコレート工場”が2005年の秋に劇場公開されていましたが、それに少し遅れて上映されたのが、このストップモーション・アニメ である“ティム・バートンのコープス・ブライド”なのです。

数秒のシーンを撮影するのに何時間もかかり、こつこつと単調な作業を続けるため根気が要ることで有名なストップモーション・アニメですが、この監督の代表作品として思い出すのは、1993年に公開された “ナイトメアー・ビフォア・クリスマス”なのです。その頃と変わらず彼の作品に出てくる登場人物はオカルトなのにかわいい人形たちなのでした。



ナイトメアー・ビフォア・クリスマス コレクターズ・エディション



 で、あのチャリ・チョコとコープス・ブライドは監督が同じで、この作品の主人公も同じジョニー・デップさんなのです(声で出演しているのです)。さらに製作時期も同じだったので、昼間はチャリ・チョコ撮影をして、夜はコープス・ブライドを製作していたそうなのです。

なんで製作時期をずらせなかったんだろ?(契約上の問題なのかな?)

ということで、そんな撮影スケジュールでは大変だったはずなのです。なので、監督はどちらの作品を手抜きをしながら作ったのか?というのを注目しながら、この作品を観てみたのです(おいおい)。


 物語は、成金親父の気の弱い息子と、貧乏貴族の娘が政略結婚をさせられるところから始まる。気の弱い息子は結婚式のリハーサルの時でさえ誓いの言葉がうまく言えなくて、町外れの墓場で誓いのセリフの練習していた。人前ではおどおどしてしまう彼だったが、誰もいないところでは詩人のように話せた。そして花嫁の手に見立てた木の枝で指輪をはめるところまで練習していたが、それは木の枝ではなく、悲劇のもとで無くなってしまった死体の花嫁の手だった。間違いとはいえ、二人は正式な誓いの言葉で正式の夫婦となってしまい、かれは死の世界に連れて行かれる。そして…。


 どうやら、手を抜いたのはこの作品の方でした(おいおい)。

なのですが、この77分の物語にはティム・バートン監督の思い入れが少なかったためか?お気楽に観られる映画に仕上がり、ミュージカル調で進む展開にはだれてしまう場面も無く、瞬く間に終わる物語なっていました(手を抜いているところがいい影響になっているのです)。

そして、ナイトメアー・ビフォア・クリスマスのなどの作品と共通するのですが、彼の映画に登場する人形たちは生きている人間より、死体や無機質なものを美しく生き生きと見せるところがすばらしいのです(矛盾)。


 この映画は骨や目玉が飛び出ているオカルトチックな主人公たちなので、子供に見せたくない作品として親御さんたちからは嫌われてしまいそうなDVDのパッケージなのですが、人としての生き方や限りないやさしさ、愛を貫く感動的な物語だったので、チャリ・チョコよりこの作品のほうが子供に観せてあげた方がいいのでは?と思ったaliasなのでした。



ティム・バートンのコープスブライド 特別版
ティム・バートンのコープスブライド 特別版




2006年06月29日

最終兵器彼女

 この映画は高橋しんさんによるコミック作品が原作で、テレビアニメやゲームなどにもなった人気作品なのです。さらに、この作品は“ポスト・エヴァンゲリオン症候群”であるセカイ系(←カタカナなのがポイントなのです)と呼ばれているのです。

ちなみにセカイ系とは、主人公は若年層のヒーローや救世主として設定されているのが前提なのです。そして主人公にはまだまだ幼い面が残り、自分を取り巻く人々に影響され稚拙な行動や精神面の弱さなどが表に出てしまい、そのことが人類の命運や全世界の未来に影響を与えてしまうような物語の事を指すのです。


 物語は、北海道の田舎町で暮らすシュウジとちせはまだ付き合い始めたばかりだった。恋人という存在が初めてだった二人には付き合い方も付き合う意味すらも分からないままだったが、その二人の交際は交換日記から始まった。ちせがいない間に札幌まで出かけたシュウジはそこで空襲に出会ってしまう。何も分からないまま、ただ逃げ惑うシュウジの前に現れたのは兵器と化して戦うちせの姿だった。その後、国籍不明の軍隊との戦争は激化しているようだが、新聞やテレビでは報道されないまま隠されている。自衛隊に所属している彼女の最前線からの情報に不安を感じながらも、二人は何も無かったように学校に通う。だが、ちせは最終兵器として肉体も精神も人間とは程遠いものとして成長していく。そして二人は…。


 この物語では、ちせが自衛隊の出動要請により最前線の戦場に駆り出されることになるのですが、数日ほどで普段生活に戻れるというのがポイントなのです。そのため、二人の微笑ましい恋の物語と、戦場へと旅立つ悲しみとか心の葛藤を、何度も描けるというのがこの作品の魅力なのです。

で、映画という二時間ほどの枠組みではこの別れのシーンが何度も画けるわけでもなく、さらに監督がこの微笑ましい二人と戦場での凄惨なシーンの対比をうまく利用できていなかったため、CGによる戦闘シーンと戦禍におけるリアリティーな人間関係しか画けていないのです。

この映画において世間では、CG技術の未熟さや配役の不自然さ、そして原作を読んでいないと分かりにくい物語の展開の仕方のことに不満を言われているのですが、aliasはこの対比をちゃんと画けていなかったことに、一番問題があったと思うのです。そのためにこの映画は退屈なものとなり、ただの痛々しい物語になっているのです。


 ということで、aliasとしてはこの原作は、日曜の朝に放送している戦隊ものや仮面ライダーカブトのように連続ドラマとして実写化したほうがいいんじゃないか?と思っているのです。

戦隊ヒーローのように毎週変身して悪と戦う展開は無理なのですが、仮面ライダーのように2〜3週に一度戦場に旅立つシーンを作れば、半年ぐらいは放送できそうな原作なのです。なので、ドラマや原作と同じように連載向きな作品だったかな?と思ったaliasなのでした。



最終兵器彼女
最終兵器彼女


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