2006年10月29日

2006年10月27日の金曜ロードショー

 ということで、映画公開から約4ヶ月という短いスパンでTV地上波放送された“金曜ロードショー20周年特別企画「DEATH NOTEデスノート 前編」”を観てみたaliasなのです。

この週刊少年ジャンプで連載されていた原作漫画を観たときは、人が殺すことができるノートという単純な設定なのに、天才同士が表向きはポーカーフェイスを気取りながら水面下では論理思考の戦い繰り広げる心理描写のうまさにも驚かされましたが、少年誌なのに絵より文字の方が多いんじゃないか?と思わせるほど複雑なストーリーで、一週間に一度のペースの長いスパンで画かれる物語のため細かいキーワードなども記憶していないと子供達も理解できないはずなのに、人気投票でいつも上位だったことに驚かされました(ジャンプは大人向けの雑誌になってるのかな?)。


 物語は、検事局長を父に持つ夜神月(やがみ・らいと)は大学を首席で入学し法律の勉強をしていた。たが、現状の刑法では追求できない悪があることを知り、法律の限界を感じていた。そんな思いを抱えていた彼が街角で拾った黒いノートには人に死を与える能力があることを知る。彼は世の中で裁かれない悪をこのデスノートで粛清し犯罪のない理想の世界に変えようとしはじめた。突然に始まった犯罪者たちの死という現象に対して、いつしか彼は正体不明の救世主キラという存在として世間に認められていった。しかし彼に対抗するL (エル)という存在が立ちはだかる。インターポールから警視庁に送り込まれたLは、今まで起こった現象とたった一度の行動でデスノートの存在と能力を見極める。闇に隠れた存在のまま理想の世界を築き上げようとする夜神月と、大量殺戮を止めるべく捜査をするLとの二人の戦いが始まる。そして…。


 この映画が公開された当時は公開2日目で興行収入4億円、約30万人の観客動員されたほど人気があったそうです。その映像には映画関係者も自信があったためか、公開一週間後に冒頭の12分ほどの内容をそのままテレビ公開するという異例な宣伝展開がされました。

その冒頭で画かれるシーンにはデスノートの世界観が詰め込まれ物語の導入部としては最高の出来だったのですが、その後は音を立てるように物語の世界観は崩れていくのです。


 予算の関係上の為か?死んでゆく犯罪者達があまりに二流過ぎる演技しかできない人達だったので、人が死ぬということの重みが伝わってこないのです。

そして、少年誌としては犯罪者の名前が実際にいる人と同じでは子供のいじめにつながると考えた配慮のためか、登場人物たちがあまりに不自然すぎる名前だったことが、漫画の中では気にならなかったのですが、映像だとかなりの違和感が残り物語からリアリティーを奪ってゆくのです。

さらに、漫画で画かれていた繊細でいて大胆な頭脳戦が繰り広げられる心理描写をまったく画かず、原作のストーリーを追っただけのような脚本になっているため、原作で画かれていた主人公達の緻密に計算された言動が映像としては場当たり的に対処しているようにしか見えないです。そのため、この脚本では漫画の面白さやキャラの魅力を伝えきれず、映画としても魅力が欠けただ無理やりな展開をする物語に見えてしまうのです。


 ということで、この映画は金曜ロードショーとして21:00から放送されていたのですが、この作品を知らない人がテレビを見ていたら、なんで土曜ワイド劇場が金曜日に放送されているんだ?と思ってしまうような2時間サスペンスドラマな作品になってしまっていたのです(おいおい)。

なのですが、この不自然な展開は完結編となる“DEATH NOTE デスノート the Last name”の伏線として、巧妙な仕掛けなのかもしれませんね(たぶん違うんじゃ…)。

とりあえず、後編に期待してみるaliasなのでした。



DEATH NOTE デスノート
DEATH NOTE デスノート

で、そんなこんながありまして、続きを読む?

2006年10月26日

欲望の街

 いつも休憩室で楽しくお喋りしている仕事仲間な人達がいるのですが、その中の一人の方とaliasとの映画の趣味がけっこう合うのです(例:インファナル・アフェア、クラッシュ、ホテル・ルワンダ)。

なので、先日もお気に入りの映画のお話になったのですが、aliasはいまだに人気があるためレンタルで借りることが難しい“ドラえもん のび太の恐竜2006”をお勧めしたところ(おいおい)、代わりに教えてもらったのが“欲望の街”という作品だったのです。

とりあえず知らない作品だったので欲望の街で検索してみると、竹内力さんのCDタイトルが最初の検索結果に出てきたのです(参考:ミナミの帝王)。どうやらそれほど有名な作品でもなかったようで、1995年に欲望の街・古惑仔 I /銅鑼湾(コーズウェイベイ)の疾風という作品を発表し、その後に外伝や新・欲望の街シリーズなどで10タイトルほど製作されている香港映画でした。



欲望の街〜古惑仔 I・銅鑼湾(コーズウェイベイ)の疾風



 でも、レンタルビデオで借りようと思っても、古い作品だったためか?どこにも置いてない!
近所から遠方まで10軒以上のお店で探したのですがまったく見つからず、最終的には友人がレンタルしたショップまで出向き、1作目の“欲望の街・古惑仔 I /銅鑼湾の疾風”と、2作目となる“欲望の街・古惑仔 II/台湾立志伝”の2本のビデオを借りてきたのです。

なのですが、よく考えるとaliasの家にはビデオデッキがない!!
長年にわたって使われてきたビデオデッキ君が昨年の春ごろにあの世に旅立って以来、HDDレコーダーに付いているDVDでしか映画を観ていなかったので、ビデオテープを再生することすらできなかったのです。なので、愛するスイートさんの家にある一年以上使っていないホコリまみれになったビデオデッキで観てみたのです。


 で、映画の本題なのですが(いまごろかよ!)、

物語は、香港の闇社会で生きていくことを決めた5人の少年達がいた。暴力団組織の幹部であるBの舎弟となり、その世界で頭角を現し始める。やがてボスから信頼を得た彼らは敵対組織の人物の殺害を命じられるが、Bに嫉妬を感じていた同じ組の幹部であるカンの策略により、殺害は未遂に終わり、仲間の一人も殺され、組から破門を言い渡される。彼らは別々の人生を歩み始めることになるが、Bが凄惨な殺され方をしたことを聞きつけ一同はふたたび集結する。そして…


 この作品では冒頭の人物紹介や映画の要所で劇画風の絵が挿入されるので不自然さを感じていたのですが、ラストシーンのところで「この映画は漫画“古惑仔”を原作にしています。」と表示されていました(中国の漫画が原作だったようです)。

友人いわく、青春仁侠映画と言っていたのですが、Vシネマや映画でよく見かける設定の作品だったのです。なので、この映画を観るためにさまざまな困難を乗り越えてきたため、かなり期待して映画を観ていたaliasとしてはどこが面白いんだろ?と最初は思っていたのですが、冷静に考えると、今では定番になるほど1995年当時としては新鮮なアプローチの映画だったせいかもしれませんね。

そんな設定自体はありがちな展開なのですが、一人ひとりの人物像の画き方がうまいので、エンドロールが流れる頃には意外と物語の登場人物に魅了されてしまいました。


 ビデオに収録されている予告編には、「返還直前の香港映画界を席巻し、日本でも大ヒットを記録した」と書いてあったのですが、この映画に出演しているイーキン・チェンさんやチャン・シウチョンさんは日本ではあまり有名ではないような気がします(おいおい)。

なのですが、この映画の監督はあのアンドリュー・ラウさんなのです(参考:インファナル・アフェア、デイジー、頭文字[イニシャル]D THE MOVIE)。そのためインファナル・アフェアで画かれていたヤクザな物語の原点のようなものがこの映画の中には詰め込まれているのです。さらにアンドリュー・ラウさんの作品には怪優と呼ばれるアンソニー・ウォンさんがよく出演しているのですが、この頃から一緒に作品を作ってきたんだ!と驚かされました。


 なので、インファナル・アフェアで画かれる闇の組織などの世界観が好きだったaliasとしては楽しめた映画なのでした。



欲望の街〜古惑仔 II・台湾立志伝


2006年10月22日

大停電の夜に

 大停電といえば、2006年8月14日に首都圏で140万戸にも及ぶ大規模な停電が起こったそうです。朝のラッシュタイムだったため、通勤に支障をきたしたサラリーマンなどで混乱していた浦安駅の周辺状況をニュースやワイドショーで現場リポートをしていました。

でも、その中で一つの放送局だけがミッキーさんが遅刻したことを間接的に報道していたのです。
ミッキーさんってディズニーランドのトゥーンタウンに住んでいるんだと思っていたのに…。

ミッキーさんの抜け殻だけがトゥーンタウンに住んでいるのかな?(おいおい)


 そう言えば、2003年8月14日にニューヨークを含む北アメリカ東北部で長時間の大停電が起こった時は十月十日後にたくさんの新生児が生まれたそうです。不安で何もすることがなかった男女の夜には卦/;ユ;匙oミ艪イをするぐらいしかやることがなかったのかな?(あれ?文字化けしちゃった!)

なので、この映画では停電における現場の混乱と18禁な展開のラブストーリー作品になるのかな?と思いながらこの作品を観てみたaliasなのです。



 物語は、世間はクリスマス気分に浮かれていたが、その中にはさまざまな思いを秘めている人達がいた。今日を最後にバーを閉店することに決めていた人、服役中に愛する人を奪われてしまった人、生きることに迷いを感じていた人、不倫の関係に悩んでいた人、死ぬまで隠し通したい秘密を持った人。12月24日の17:00過ぎにおこった大停電により、彼らの運命が変わりはじめる。そして…。


 この作品は停電でパニックに陥る人々についてはまったく触れられないのです。クリスマスという特別な夜に電力の供給が止まり、携帯電話が使えなくなってしまい会いたいけど逢えない人たちのことや、ロウソクの小さな明かりの下で日常の生活の中では言えなかった事が特別な夜だからこそ本当の思いが伝えられるという状況を作り出し、12人によるそれぞれの愛のエピソードを画くのです。

大切な人たちと一緒に過ごすことの大切さを再認識しながら幾つものエピソードは進んでいくのですが、単独で画かれていた心温まるエピソードがやがて互いに干渉し始め、最後は感動のフィナーレを迎えるという手法で映画は作られているのです。


 でも、それぞれのエピソードごとに迎える結末が弱かったことや、独立したエピソードが他の物語にあまりに干渉し過ぎていたこと、愛のエピソードを画くことに集中したためリアリティーのまったく無い無理な設定になっていたことなど、まとまりのない映画という印象を受けてしまったのです。そして一番気になるのが、これだけ多く人たちのエピソードを画いているにもかかわらず18禁な行為へと続く物語が一つも無かったことなのです(おいおい)。


 なので、この映画は次に停電が起こったときに観たいと思ったaliasなのでした。

つまり、停電だとテレビもつかないしDVDも再生することができないので、もう二度と観る機会のない映画になりそうだ!というオチなのでした(説明が長いって!)。



大停電の夜に スペシャル・エディション (初回限定生産)
大停電の夜に スペシャル・エディション (初回限定生産)


2006年10月19日

16ブロック

 『ダイ・ハード』ブルース・ウィルス主演 × 『リーサル・ウェポン』リチャード・ドナー監督

って、予告編や公式ホームページにも大きく書いてあったのですが、なんでこんな古い映画をわざわざ持ち出して前面に押し出すような宣伝展開にしたんだろ?

ダイ・ハードといえば彼の出世作でもあり、来年には“ダイ・ハード4”が公開される予定なのですが、彼の代表作なら“シックス・センス”とか“アルマゲドン”、“隣のヒットマン”などメジャー作品があるし、監督には“スーパーマン”とか“リーサル・ウェポン2”、“リーサル・ウェポン3”、“リーサル・ウェポン4”などの作品がたくさんあるのに…(おいおい)。


 それにしてもブルース・ウィリスさんってずんぶん老けちゃったよな〜。ダイ・ハードの頃はテロリストとのハードな戦いを画いていましたが、2007年公開予定のダイ・ハード4では老衰と戦う物語になりそうな気がしてきました(ブルース・ウィリスさんのファンやプチ・ブルースさんに怒られるぞ!)。


 物語は、昔はニューヨーク市警で活躍したジャック・モーズリーは捜査中の事故で足を負傷してしまい、今では署内でも疎まれる存在になりアルコール浸りの堕落した日々を送っていた。夜明けまで張り込み捜査をしていた彼が眠い目をこすりながら家に帰ろうとしていたときに上司から押し付けられたのが、2時間後の開廷に間に合わせるため16ブロック先にある裁判所まで囚人(モス・デフ)を送り届けること。囚人のことは何も知らないが車で行けば15分ほどで終わる職務だったが、護送中にいきなり銃による襲撃を受けてしまう。その場を切り抜け本部へ助けを求めたが、応援に駆けつけてきたはずの同僚達も囚人の命を狙っていた。同僚の一人に銃を向けその場を抜け出すが、やがて彼らはニューヨーク市警から追われる立場になってしまう。そして…。


 映画の冒頭は、物語の途中で画かれるワン・シーンを切り出したジャックの印象的なセリフから始まるのですが、それがこの物語の全体を表したような言葉であり、これから始まる物語への期待を持たせる大事なシーンでもあるのです。

で、この16ブロックの間を進むためにさまざまなものエピソードが盛り込まれているのですが(約1.6kmと設定されているのです)、護送されている囚人と落ちこぼれ警官のバディ・ムービーな展開で、二人の迫力あるアクションと二人の楽しませてくれる会話、そして二人の性格を対比しながら、テンポよく物語は進んでいくのです。

でも、冒頭の印象的に語られていたシーンのところまで物語の展開が追いつくと、その後は多少の仕掛けはあるのですが、惰性のように物語は沈滞してしまうのです。

なのですが、エンドロールが流れる頃には、なぜか心温まるように終わっていく物語なっていました。


 この映画は物語の展開と映画の時間経過がほぼシンクロする“24”タイプのリアルタイム・サスペンス仕立ての作品になっていました。迫り来る時間に追われながら、先の読めない展開をする構成なところも同じなのですが、主人公の名前がジャックというところまでが同じなのが気になってしまったaliasなのでした(参照:ジャック・バウアー)。


16ブロック
16ブロック

2006年10月15日

スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ

何の因果か劇場招待券を友人から貰い受け、この作品を観ることになってしまったaliasなのです。

1976年に和田慎二さんの漫画で連載され、1985年にテレビ放送されていたドラマを映画にした作品なのです。この映画で18年ぶりの3作目になるそうなのですが、原作者が今までに何度も再映像化のオファーを断り続けていたのに松浦亜弥さん起用により映画化が決まったのだそうです。


 ちなみにスケバンとは、女の番長または女性のツッパリな人を指す言葉で、通常は装備にカミソリやチェーンを持ち歩く人のことだったようですが、この作品ではヨーヨーを武器にして戦うのです。

そんなヤンキーな人を取り扱った映画なので、当然のようにPG−12指定となっているのですが(?)、企画協力がアップフロントグループとなっていて、モーニング娘などが所属するハロープロジェクトのアイドルな人々が多数出演する映画なのです。

昔の資料を調べてみるとテレビドラマでも斉藤由貴さんや南野陽子さん、浅香唯さんなどの当時アイドルと呼ばれていた人が出演していたそうなので、アイドル映画として同じ路線を踏襲したようです。



スケバン刑事 コンピレーションDVD
スケバン刑事 コンピレーションDVD




 物語は、悪いうわさの絶えないアングラサイトへ集中的にアクセスしている学園へ潜入操作をしていた特命刑事が爆死するところからはじまる。アメリカに母親を拘束されたまま日本へ強制送還されてきた一人の少女が特務機関へ連行された。ニューヨークの警察官でも手に負えないほどの力を持つ少女は、母の免責を求める国際司法取引と引き換えに、特務機関により特命刑事の使命を帯びコードネーム麻宮サキの名前を与えられ学園の潜入へと向かう。そして…


 昭和の時代に行なわれていたヤンキーな言動を恥ずかしげもなく松浦亜弥さんにさせたり、敵に向かって投げたヨーヨーがあちこちにぶつかって本人の頭に当たったりするという、本人は大真面目なのに、傍から見るとこっけいに見えるというスタイルで構成されていました。

この作品にはセーラー服への思い入れがあるようで、ジャケットタイプの制服の学校なのに主人公にだけセーラー服を着させたり、彼女が最終決戦に臨むときに体にまとわりつくぐらいのラバースーツの戦闘服の着るのですが、それがセーラー服のデザインになっていたりするので、ある種のこだわりが感じられました。


 そんな世界観を本気で演じる松浦亜弥さんや石川梨華さんらの役者さんの頑張りは画面を通しても伝わってくるのですが、危険な場面のアクションのときにはスタントマンの人と変わっていることがあからさまに分かるところや、フイルムを逆回転にするという昔に多用されたアクション構成、予算が少ないためかCG映像というより特撮の域から出ていない演出となっているのです(監督の意図した結果だったのかもしれませんけどね…)。

当時のスタイルのアクションを追求したような映像とアイドルが出演する映画だったので、昔を懐かしむ30代ぐらいの親たちとアイドルが見たい子供たちの家族層向けの映画かな?と最初は思っていたのですが、よく考えてみるとPG−12作品なのです(大きなお友達向けの作品なのかな?)。


 ということで、TVの戦隊物と変わらない演出、脚本、特撮映像からは消え行く昭和の香りが漂い、今では人気の衰えてしまった団体で作り上げられたアイドル映画、その二つの要素が栄枯盛衰を表すように画面から物悲しいものを感じさせるのです。

そしてとどめを刺すように、エンドロールで流れるアイドル的な主題歌が劇場内でむなしく鳴り響いていた映画なのでした。



スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ 通常版
スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ 通常版

2006年10月12日

レディ・イン・ザ・ウォーター

この映画にはある秘密があります、まだ映画を見ていない人には、決して話さないで下さい。

 で有名な、M・ナイト・シャマラン監督の作品なのです(たまにシャラマンと言い間違えるときがあるのです)。自分の監督作品には必ず役者としてワン・シーンの出番を作る人なのですが、1999年に発表された監督の第3作目となる“シックス・センス”の興行的成功により一躍の有名人になりました。でも、監督に対する過度の期待があったこともあり、続く“アンブレイカブル”、“サイン”という作品で観客達をあきれさせてしまい、まだ映画を観ていない人にも、決して話す気にもならないような作品にしてしまったのです(おいおい)。

で、2004年に公開された“ヴィレッジ”は1897年のアメリカのペンシルバニアを舞台にした寂しげな村で巻き起こる事件に付いて画かれる物語でしたが、この映画にインド出身である監督が出演するのはさすがに無理だろうと思っていたのです(監督は完全なるアジア系の顔なので、この時代のアメリカに出演してしまってはかなり不自然な設定になってしまうのです)。なのですが、その監督が見事なタイミングで出演し、物語もシックス・センスには及ばないものの衝撃のラストになっていたのです。しかし、人気が落ちていた監督の作品だったので、映画の中で画かれていた寂しい村と同様に、映画館の観客席も寂しい状態になっていたのです(おいおい)。

ということで(?)、前作で復調を感じたaliasはM・ナイト・シャマランさんが脚本・製作・監督を兼ねるこの映画に期待に胸膨らませ劇場へと足を運んだのです。


 物語は、アパートの管理人をするクリーブランド・ヒープ(ポール・ジアマッティ)は電球を替えたり、壊れたアパートの備品を修理しながら、毎日同じことを繰り返すような退屈な日々に身を任せていた。だが、アパートで管理していたプールから、住民ではない女性(ブライス・ダラス・ハワード)を発見する。何者かに襲われていた彼女はストーリーと名乗るが、言動を見ていると彼女はおとぎ話に出てくる水の妖精ではないかとクリーブランドは思い始める。アパートの住人の協力を得て彼女を元の世界に戻そうとする。そして…。


 この物語はシャマランさんの子供達を寝かしつけるときにお話していた物語を映画にした作品なのです。そのため物語にはファンタジーやRPGの要素が含まれ、守護者、傷を癒すヒーラーのような役割を持った存在が出てくるのです。そして、彼女を元の世界に戻すために行なう儀式にはその役割を持つ人物をアパートの住民から探さないといけないのですが、主人公達にはそれを特定する確証がないため、誰がその役割を担う人物なのか?ということを推測する物語の構成になっているのです。

そういえば、監督はこの作品のプロモーションで、“ハリー・ポッター”シリーズの第1作目の監督としてオファーを受けたが“アンブレイカブル”の撮影スケジュールが入っていたため断念したという話をしていたのです。そしてインタビューでは、まだ製作されていない6作目か最終作の監督をしたいと名乗り出ているほど、最近はファンタジーの世界にのめりこんでいるそうです。


 なのですが、この作品は子供を寝かしつけるどころか、観客まで寝かしつけるような映画になっていたので、できればハリー・ポッターの監督はご遠慮願いたいのです(言い過ぎだって!)。それに、この映画のような設定やストーリー展開が適当すぎる物語を作っているようでは、ハリー・ポッターからのオファーは二度とこなさそうなのです(M・ナイト・シャマランさんのファンの人に怒られるぞ!!)。

さらに、この映画では主人公であるポール・ジアマッティさんより目立つ演技をするほど監督の出演シーンがたくさんあったので、ほとんど主演・脚本・製作・監督、M・ナイト・シャマラン!って感じの映画になっていたのです。


 ということで、まだ映画を観ていない人にも、決して話す気にもならない作品にしてしまったM・ナイト・シャマラン監督なのでした(シックス・センスは奇跡的にできてしまった作品だったのかな〜?)。



レディ・イン・ザ・ウォーター 特別版
レディ・イン・ザ・ウォーター 特別版

2006年10月08日

ワールド・トレード・センター

 この物語は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を画いた作品です。この事件では旅客機そのものを凶器にしたテロ行為が行なわれましたが、この作品はニューヨーク世界貿易センターのツインビルの大惨事で、倒壊したビルの中から奇跡的に生還した男たちの姿を画く物語なのです。

世界を震撼させた事件から約5年。まだ生々しさが人々の心に残るこの事件、論議され尽くしていないこのテロに対する歴史的考察、そして遺族への配慮。そんなことを考えるとエンターテイメントに部類される映画として作品にするには早すぎるのではないのか?とユナイテッド93のときと同様に思ったのですが、オリバー・ストーン監督の意図を知りたくなり映画館へ足を運んだaliasなのです。


 物語は、いつも通りの勤務に就いていた湾岸警察署のウイル・ヒメノ(マイケル・ペーニャ)が大きな衝撃音を聞くところから始まる。署に戻るとWTCに飛行機が衝突したニュースが流れていた。巡査部長であるジョン・マクローリン(ニコラス・ケイジ)と共に現場へ応援に向かうが、その頃ツインタワービルには2機目の旅客機が追突していた。5名の選抜チームを組みすでに上層階では大火災となっていたビルへ救済に向かうが、二次災害となるビルの崩壊が始まった。そして…。


 今回、映画を担当したオリヴァー・ストーン監督はアメリカ政府などを批判した政治色が強い社会派な作品を撮ることで有名なのです。2001年の大統領選の際は、ジョージ・ウォーカー・ブッシュが当選すれば、アメリカ国内で大規模なテロがおこると公言したことでも有名な人なのです。

なので、どんな風に物語を構築してくるのかと思っていたら、全編129分にも及ぶ長編映画の冒頭の20分ぐらいのところで、救出に向かった隊員たちが何もできないうちにビルが崩れてしまい、その後は外部からの救出を待つという、物語にするには不向きな題材を扱っているのです。さらに実際にあったエピソードを忠実に再現しているため大掛かりな演出もなく、ビルの土砂に埋もれ身動きができない主人公達の会話がメインになるので映像はとても地味になっているのです。そして、主人公達を心配する家族たちの思いなどを絡め物語が展開し、政治色な要素には一切触れないヒューマンドラマな作品に仕上げてきたのです(この監督がこんな作品を撮ったことが逆に驚きなのです)。


 暗闇の中で救助を待つ主人公達の会話と心配する家族の心理描写で展開する地味な物語なのに意外と見ごたえのある映画に上げていることに驚かされ、暗闇の中から助け出される主人公たちが助け出され光の下へ出たときに生命の誕生のよう映し出す演出には感動を覚えるのですが、テロという事実や政治的な背景にはまったくのノータッチで進む作品なので、地震やハリケーンでビルが倒壊したという設定に変えても通じてしまうような脚本になっているのです。

なので、現状ではこれ以上は踏み込めないということが画面を通して伝わってきてしまう時期尚早なテーマだったという印象を受けたaliasなのでした。



ワールド・トレード・センター スペシャル・コレクターズ・エディション
ワールド・トレード・センター スペシャル・コレクターズ・エディション

2006年10月05日

ユナイテッド93

 この物語は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を画いた作品です。この事件では4機の大型ジェット旅客機をハイジャックし飛行機そのものを凶器にしたテロ行為が行なわれましたが、ただ一つ攻撃対象の目標物に届くことなく墜落した飛行機がこのユナイテッド航空93便なのです。

世界を震撼させた事件から約5年。まだ生々しさが人々の心に残るこの事件、論議され尽くしていないこのテロに対する歴史的考察、そして遺族への配慮。そんなことを考えるとエンターテイメントに部類される映画として作品にするには早すぎるのではないのか?と思ったのですが、監督の意図を知りたくなり映画館へ足を運んだaliasなのです。


 物語の冒頭では、朝のボストン管制センターの光景から画かれる。いつものように訪れる朝のラッシュアワーの中、管制官達は目まぐるしい業務をこなしていた。そんな中、一機の旅客機がコースをはずれ管制官の呼びかけにも応じなくなる。管制官はハイジャックが起こったと判断し上司に報告した結果、軍の防空センターに連絡を取り彼らは警戒態勢に入る。しかし、その旅客機がマンハッタン上空でレーダーから消える。軍、管制センター、マスコミでその飛行機に対する正誤が入り混じった新旧の情報が錯綜するが、今度は2機目の飛行機が通信不能のなりその飛行機もレーダーから消えた。そしてテレビに映し出されたニューヨーク世界貿易センターのツインビルの映像には…


 この物語は関係者の証言を元にした事件当日の光景が、ドキュメンタリー風に画かれるのです。

前半の部分では、退屈なぐらい何も起きない管制室に旅客機と通信が取れなくなってしまう情報が入り、テレビでのWTCでおきた衝撃の映像を見るところまでが画かれるのです。最初は少しの不安感じているだけの人々がだんだん動揺していく様が画かれ、予想もできないテレビからの映像が入ってきたとき、人々は現状を把握し本当の恐怖にすくみ上がることになるのです。その描写はあまりにリアルで、連絡の取れない旅客機に対して通信機に向かって話しかけることしかできない管制官達たちの無力感が漂う光景が写し出されるのです。

後半ではユナイテッド93の機内で起こったことが画かれるのですが、旅客機に乗っていた人物の中には生き残った人がいなかったため、携帯電話などで機内から家族へ向けて連絡してきたときの話を元に再現するのです。その映像にはただ泣き叫ぶ人、現状を把握できない人、あきらめる人、そして立ち向かおうとする人などさまざまな反応が画かれるのですが、実際の機内の状況を証言できる人がいなかったため、物語として遺族やこの事件に関わってきた人たち、そしてアメリカ国民としての思いを表したような映像になっていました。


 この映画の最後に驚かされるのが、エンドロールのクレジットにas himselfという言葉が羅列している事なのです。この作品では、当時の関係者達が自分の役柄で映画に出演しているのです。

今回、監督はほぼ全員になる遺族の方々からの数々の証言と、この事件を映画にする了承を得て飛行機内の物語を画き、さらに関係者へのリサーチと出演を依頼してこの映画を作ったのです。つまりこの作品は遺族や関係者たちの協力がなくては作れなかった映画だったのです。


 この映画ではテロを行なった人々を完全な悪とは画かなかったため勧善懲悪の世界観などはなく、このテロで起こった悲劇を風化させないために映像にしたという思いが伝わってきた作品でした。



ユナイテッド93
ユナイテッド93

2006年10月01日

ホテル・ルワンダ

 この映画は2005年に行なわれた第77回アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞などでいくつかの部門にノミネートされるほど評価の高い作品でしたが、そのため日本での買い付け値段が上がってしまったことや主人公たちが日本では無名であること、アフリカで行なわれた大虐殺事件を扱った政治色が強く題材のテーマが重いこと、さらに上映時間が長いことなどさまざまな悪条件が重なったため、当初は国内での配給会社が決まらずに日本での映画館公開は危ぶまれていたのです。

なのですが、“「ホテル・ルワンダ」日本公開を求める会”が2005年6月15日に発足し、インターネットやマスメディアを巻き込む上映嘆願署名運動が行なわれた結果、潟<fィア・スーツさんの配給により同年の10月に、2006年正月第2弾作品として公開されることが決まった作品だったのです。


 物語は、主人公のフツ族であるポール(ドン・チードル)はベルギー人が所有するホテルの副支配人であり、家庭を大切にする男だった。数々のホテルでの経験を生かし彼は裕福な人々、政府関係者、軍の有力者などの重要人物への扱い方も心得ていた。

1993年8月、ルワンダ共和国では内戦の続く多数派のフツ族と少数派のツチ族との間で和平合意がなされた。元々、アフリカ大地には異なる文化を持つ多くの部族がいたが、このフツ族とツチ族は同じ地域に住み共通の言語と同一の伝統を持つ部族であり、二つの間には農耕民族と遊牧民族という差でしかなかった。だが、ドイツやベルギーの植民地化後の政策で二つの部族は差別化されてしまった。一時的に少数派のツチ族たちは入植者により優秀な種族と扱われ、優遇された彼らは恵まれた生活を送ることになるが、共和国として独立した後もその関係が残ってしまったため、フツ族にはツチ族へのわだかまりが残り、二つの部族の対立関係はさらに深まってしまった。

1994年、ラジオから二つの部族の対立をあおるような放送がされていることにツチ族である妻は怯えていたが、一方のポールは楽観視していた。が、4月6日にフツ族であるルワンダの大統領の乗った飛行機が何者かに撃墜される。フツ族の過激派たちはこの殺害をツチ族の陰謀と位置づけ、彼らはツチ族への報復として100万人にも及ぶ大虐殺を始める。そして…。


 この物語におけるホテル・ルワンダとは、国連軍やジャーナリストが宿泊している施設となるため難民たちが逃げ込める場所として設定されているのです。そして暴動を恐れた支配人たちが海外へ脱出したため、最初のポールは家族を救うためにホテルへ避難するはずだったのに、妻に頼りにして逃げてきたツチ族の親戚たちも彼の元へ集まり、最終的に彼はホテルの支配人として1200人以上にも及ぶ難民を預かる立場になってしまうのです。そして部族抹殺が目的であるフツ族の過激派たちに対して、ホテルマンとして培ってきた交渉術やコネなど使って、何とか彼らの攻撃をやり過ごす生活がこの作品では画かれるのです。やがて海外から派遣された部隊の到着することで、彼らは一安心することになるのですが、そこからがこの映画で画かれる第2の問題点となるのです。


 こんなレビューを書いていると堅苦しい話かな?と思われるかもしれませんが、この映画は歴史的事実やニュースを知らない人でも、この映画を観ているだけで自然に理解できる内容になっているのです。そして残酷で暗くなりやすいテーマなのですが、家族愛や困難な状態の中を必死で生き抜く希望が描かれる一級のエンターテイメント作品でもあるのです。

この作品に関しては、虐殺されたとする死者数がその後の人口統計の推移と計算が合わないため、報告されている人数を疑問視する声や、一方に偏った画き方をした作品になっているという批判の声もあるのですが、この映画の目的はアフリカの地でこの虐殺があったことを全世界に伝えるという一点に絞られて作られた映画であると思われます。


 ニュースなどで、「この事故(事件)で、被害にあった日本人はいませんでした」と言うアナウンサーが常套句で伝える言葉がありますが、その言葉は日本人としては安心感を覚える言葉ではあるものの、現地の人々の痛みを伝えない言葉であるということをこの映画で学んだaliasなのでした。



ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション
ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション

2006年09月28日

逆境ナイン

 2005年の後半ぐらいから、ハリウッド作品より邦画の方が映画館への集客能力があると言われるほど勢いのある日本映画なのですが、その人気の一角を担うのがROBOT製作の作品群なのです(例:踊る大捜査線シリーズ、海猿シリーズ、ALWAYS三丁目の夕日 タイヨウのうた)。

ということで題名からしてあやし過ぎる映画なのですが、玉山鉄二さんや堀北真希さん、藤岡弘さんらが出演し、さらに話題性もあり質の高い作品を量産しているROBOTさん製作の作品ということで、映画を観てみたaliasなのです。


 物語は、主人公である全力学園の不屈闘志が校長に野球部の廃部を言い渡されるところから始まる。不屈は廃部させないために甲子園で優勝することと、10日以内に去年の優勝校との試合に勝つことを宣言するが、弱小の野球部には数々の逆境を乗り越えなければならなかった。そして…。


 この作品の島本和彦さんに手掛けられた原作は伝説の熱血漫画と言われているものの、あまりにマイナーな作品であったことや実写化の難しい作品であったため、企画会議の段階で映画化は不可能と一時は判断されたのですが、監督の熱意でその逆境を覆し、オファーを受けた役者がこの原作に惚れ込んだ結果、この豪華キャスト人になったそうです。

で、その役者の方々が惚れ込んだ原作は主人公の不屈闘志という名前が表しているのですが、逆境に陥っても諦めない熱血漢の野球漫画なのです。にもかかわらず、その熱血さがあまりにも度が超えていたり、無理難題をでたらめの男の論理で解決したり、投げたボールが燃えたりするので、小林サッカーのような現実ではありえない世界観を紡ぎ出すお笑いスポコン映画仕上がっているのです。

そして、この物語で主人公が逆境に陥ったときに彼らの価値観を覆したり、その状況を見事に表した名言がいくつも出てくるのですが(ネタばれになるので内緒なのです)、その言葉を宇宙から落ちてきたモノリスや空に浮かぶ石版などに文字で刻むという、とんでもない強調の仕方をするのです。


 ありえない世界観を画くこの作品からは、熱血馬鹿映画にかける役者と監督からの大きな思い入れと情熱が感じられるのですが、無茶苦茶な物語の展開をするくせに(おいおい)、演出自体はどこかで見かけたことのあるような手法ばかりなので、オリジナリティーにかける秀作な作品という印象を受けてしまったのです(ちょっと定番過ぎたのかもしれませんね)。



 そういえば、商業主義に偏る映画界では作品のイメージとはまったくかけ離れた楽曲が主題歌として選ばれるケースが多いのですが、この映画ではエンドロールで1987年にリリースされた岡村孝子さんの“夢をあきらめないで”という曲が流れていました。この男くさい熱血の物語の後に、その男の子たちをあたたかく見つめるかのような視点でやさしさにあふれる彼女の歌声と歌詞が流れてきたので、主題歌としては見事にはまっていたのです(星飛雄馬のお姉さんの視点なのです)。

でも、最近テレビで見かけない岡村孝子さんは、今は歌手としての逆境にいるのかな?と別の心配をしてしまったaliasなのでした。



逆境ナイン かけがえのない通常版
逆境ナイン かけがえのない通常版

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。