2007年06月24日

暗いところで待ち合わせ

光をなくした女、闇を抱える男。殺人事件から始まった不思議な共同生活。


 週に1冊は本を読むaliasなのですが、この映画の原作者である乙一さんの本はタイミング悪く今まで逃してきたので、作家の世界観を含めて楽しみに映画を観てみました。


 物語は、駅のすぐそばにある高台の一軒家に住むミチルは、事故により視力を失ってしまった。それ以来、外出することに怯えていた彼女だったが、唯一の頼りの存在だった父が亡くなってしまい、友人と一緒に出かけるとき以外は家の中に引きこもっていた。

一方、在日中国人として職場で孤立していたアキヒロは、殺人犯として追われる身となってしまった。彼は殺人現場のそばにあるミチルの家に逃げ込むことを決意する、彼女のことは知らないが盲目であることを知っていたため。彼女に気付かれないよう息を潜める彼と、何も知らない彼女との奇妙な生活が始まるが、彼女はただ家の中に引きこもり、彼は毎日犯行の行われた駅の現場を見下ろすだけ。そして、二人の生活に変化が…。


 一つひとつのエピソードはありがちでどこかで見かけたような設定なのですが、トータルの作品としてみると不思議って言うか、奇妙って言うか、変な物語なのでした。

原作のうまさにも驚いたのですが、田中麗奈さんの演技はすごかったのです。光を失い世間へ出ることに対して怯えてしまうところや、父親が死んでしまったことにより初めて内に秘められた感情を吐露するところなどが見事に表現されていました。

そして、相手役である台湾出身のアジア全域で活躍するチェン・ボーリンさんは、たどたどしい日本語しか話せないのですが、部屋の中で静かに息を潜める日本語がほとんど必要ない役どころなので、特に問題ないなかったのです(おいおい)。


 この奇妙な関係が築かれた不思議な空間では、お互いのコミュニケーションが介在することは無かったはずなのに、いつの間にか相手の存在のおかげで心強く思うようになったり、相手のことを密かに心の中で応援していたり、相手の存在を認めたりするシーンなど、独特な間合いが楽しめました(たぶん、ハリウッドなどの欧米では受け入れらない、日本独特のセンスなのです)。

そして、アキヒロが外国人として執拗に虐められるシーンや、ミチルが頑なに外出を怖がる設定など不自然な展開があるので、泣ける映画にするための過剰な演出なのかな?と思っていたら、ミステリー小説のようにロジックが仕掛けてあったりするので、普通の映画ではありませんでした。


 エピソードには物語を成立させるための多少の矛盾点が気になってしまうのですが、映画の題名やDVDのパッケージを見ていると、ただの泣かせる物語だと思っていたので、この意外な物語を楽しませてもらいました。

こんな奇妙な設定を生み出す作家さんといえば西澤保彦さんか、東野圭吾さんぐらいしか知らなかったので、乙一さんの世界観にも触れてみたいと思ったaliasなのでした。

(ということで、原作を読んでみよっと!)


暗いところで待ち合わせ プレミアム・エディション
暗いところで待ち合わせ プレミアム・エディション

2007年06月14日

サムサッカー

 この映画はサムさんがサッカーをする話ではなく、thumb suckingという指を吸う癖が止められない人のことなのです。


 物語は、17歳になっても親指しゃぶりが止められないジャスティン(ルー・プッチ)は、それを克服しようと何度も努力するが、不安なことがあるとトイレに隠れ、また親指をしゃぶってしまう。学校でも、そのことが気になり勉強にも集中できずにいた。そして、幼い頃から通っている歯医者(キアヌ・リーヴス)に、親指の癖は不安が原因だと見抜かれてしまう。彼から催眠術をかけてもらい一時的にその癖は直ったが、そのことがストレスとなり状況はひどくなっていく。それがきっかけとなり、抗うつ剤を処方されることになるが、彼の癖がなくなるどころか、集中力を向上させて彼を優等生になるほどの効果をあげる。だが、その成分が麻薬であるコカインと分子構造が3つしか違わないことも指摘され、今の状態が本当の自分ではないことと気付いたジャスティンは…。


 この物語は十代の思春期をテーマにした普遍的な青春の物語なのです。そして、17歳の少年の不安定な心を画き出すのですが、両親や学校の先生、歯医者など、大人たちが持っている不安や何かに依存して生きていること、さらに彼らの価値観が崩壊していく様までも、同時に画き出すのです。

少年が大人になるときに、今まで想像していた世界が思っていた以上に大きく見えたり、逆に小さく見えたりする心の成長をうまく画いているのですが、彼の価値観や麻薬の常用をする子供たち、親たちが依存しているものがアメリカ的な常識を前提にした内容だったので、日本人としてはリアリティーがあまり感じられないところが残念なところでした。


 aliasはこの映画の世界観は好きなのですが、サムサッカーという題名と同様に、日本人には伝わりにくい内容の映画なのでした。



サムサッカー 17歳、フツーに心配な僕のミライ コレクターズ・エディション
サムサッカー 17歳、フツーに心配な僕のミライ コレクターズ・エディション

2007年06月07日

武士の一分

 この映画は“たそがれ清兵衛”、“隠し剣 鬼の爪”に続く、藤沢周平原作・山田時代劇シリーズの最終作品と宣伝したのですが、いつの間に三部作構成になっていたんだろ?


 木村拓哉さんが時代劇に挑んだということで、ずいぶん話題になりましたが、日本アカデミー賞などでも多くの部門にノミネートされていたみたいです。

で、この映画の記者会見の際には、木村拓哉さんとヒロインの檀れいさんとのツーショット撮影が禁止されていたそうです。当時、二人が不倫の噂がささやかれていたので、二人の熱愛ぶりが画面から滲み出ないようにするため禁止されたのではないか?と言われてたようですが、映画の話題を盛り上げるためのでっち上げだったのかも知れませんね。


 一作目のたそがれ清兵衛では、時代劇であるもののチャンバラをメインには画かず、何気ない日常をメインしていましたが、ひとたび戦いのシーンになると、生々しいほどの展開になり、畳に血が飛び散る音までもリアルに再現してことに驚かされた記憶があったので、楽しみに映画を観てみたaliasなのでした。


 物語は、下級武士であった三村新之丞は、剣術も長け、秀才と呼ばれる男であったが、現在は毒見役という役目を仰せつかっていた。主君を毒殺から守るためとはいえ、毎日食事をするだけの退屈な仕事であったが、気立てが良く美しい妻である加世との幸せな生活に満足していた。しかし、新之丞は貝の毒にあったってしまい、3日間の生死をさまよってしまう。奇跡的に助かった彼に残された代償は失明という現実だった。一度は死を覚悟した新之丞だったが、妻の説得により生きることを選んだ。だが、不自由な生活と将来が不安になる中、生活の保障を名目に妻に付け入ろうとする上役がいた。そして…


 時代劇なので、木村拓哉さんはヅラをかぶっているのですが、これが彼には全く似合わないのです。彼の髪の毛の量が多いためなのか、額の部分が大きくなってしまい、何かを乗せた様な不自然な形になっていました。

そんな気になる点はあるのですが、立ち振る舞いや殺陣などは驚くほどうまかったのです。それに、木村拓哉さんはどんなドラマでも木村拓哉な演技なのですが、この映画の雰囲気に溶け込んでいました。

そして、宝塚出身の檀れいさんとの何気ない会話や食事などを何度も画くのですが、後半には物語が殺伐としていく雰囲気の中、日常や平凡な生活の中にこそ、大切なものがあるというシンプルに感動できるストーリになっていました。


 なのですが、この監督は3部作を通じて、同じ内容しか画いていないのです。例えば、水戸黄門のようにうっかり八兵衛さんが毎週うっかりしたり、由美かおるさんのお約束のお色気シーンがあったり、8時45分に印籠がでてきたりするのと同じような既視感があるのです。

平凡な下級武士の主人公の日常と愛の大切さを画き、その大切な生活を上役や藩命により壊され、最後は一命をかけた果し合いに臨むという同じ展開の物語になっているのです。封建社会と武士道の矛盾までも画き、一つひとつの映画としては完成度は高いと思うのですが、シリーズ作品として見ると厳しいものがありました。


 ということでこの作品はいまいち楽しめなかったのですが、 “釣りバカ日誌”や、“男はつらいよ”などのシリーズを延々と画いてきた山田洋二監督らしい作品だな!とも思ったaliasなのでした。



武士の一分
武士の一分

2007年06月03日

300 <スリーハンドレッド>

300人VS1,000,000人、真っ向勝負!


 上記のような宣伝展開をしている映画なのですが、“300”って作品タイトルにすると、何の映画なのか?全く不明ですよね〜。

それに、ネットで映画を検索するときに、のぞみ300系とか(新幹線のことです)、離婚後300日特例とか、企業による情報流出300万件などの記事に、将来的には埋もれてしまいそうな気がします。

なので、こんな時こそ日本語タイトルに“テルモピライの戦い”や“ペルシア戦争の奇跡”、“男たちの挽歌”などの副題を付けてくれると、後でも検索しやすいのにな〜と思うaliasなのでした。


 で、この作品は古代ギリシャ時代の都市(ポリス)で、スパルタ教育で有名なスパルタの物語なのです。

元となる史実は紀元前480年に行われたペルシア戦争における逸話となり、ペルシャ軍30万人という大部隊に対して、窮地に陥ったスパルタ軍はスパルタ王であるレオニダス自らが率いた300人の特攻部隊を編成し囮として立ち向かい、味方の兵4000名を逃がしたことで有名なのです。

でも、今回は“デア・デビル”や“シン・シティー”などを手掛けたフランク・ミラーさんによるアメコミ作品が原作となっていますので、史実を元にした別の物語になっていました。
(↓その原作コミックの日本語版なのです)


300(スリーハンドレッド)


 この映画は多数との戦いに挑む、少数の男たちの物語となっています。

メインとなるアクションシーンは、異形の者たちが現れ予測不可能な攻撃を仕掛けてきたり、最初はリアルに展開していたはずの物語が物理の法則を越えた能力を発揮したり、手足や首がちぎれ血が流される戦闘や殺戮が次々に行われるハードな演出なのですが、色あせてしまった古い写真のようなセピア色の画面で統一されているので、多少の残虐性は軽減されています(シン・シティーの白黒画面と同じような効果なのです)。


 スパルタ教育の中で厳しい訓練を受ける者たち、戦いが行われる中で裏舞台を暗躍する者たち、そして味方を裏切る者などが画かれているのですが、安っぽい別れのドラマが画かれる訳でもなく、政治的要素が画かれる訳でもなく、自己犠牲を美化した物語でもなく、退くことを知らない戦士として生き抜く男たちの物語がストレートに画かれるのです。

そして、予告編でも流されていた迫力のあるアクションシーンは圧倒的物量で展開され、スローや長回しなどを多用し、出演者の筋肉までもCGで強調するなどの細部までの工夫が凝らされていました。なのですが、それを終始おなじテンションで画き続けた起伏のない状態を最後まで押し切るので、途中で飽きてしまう側面もありました。


 世界各国でNO.1ヒット記録続出中と宣伝していたのですが、敵となるペルシア軍は、現代でも紛争の火薬庫と呼ばれるペルシャ湾の沿岸から来た人達のことなので、一部政府からクレームが付けられたり、人種差別として問題になっていたそうです。

それに、日本での公開は遅れ2007年6月9日となってしまったのです。5月から続けて封切られた“スパイダーマン3”や“パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド”などの娯楽大作映画が公開された後の日本映画業界では、ヒットは厳しいんじゃないかな〜?と、冷静に思うaliasなのでした(おいおい)



300<スリーハンドレッド>特別版(2枚組)
300<スリーハンドレッド>特別版(2枚組)

2007年05月27日

GOAL!2

 この映画は3部作構成のシリーズ作品だったのですが、急遽、4作目を作るという構想が練られているみたいです。

前作は、草サッカーをしていた少年がプロのピッチに立つまでを画き、今回の作品で、UEFAチャンピオンズリーグなどの話を絡め、最終作となる3作目で、2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会中にロケをして、その模様を加工し映画にする予定だったのです。

このシリーズはアメリカとイギリスの合作の映画なのです。アメリカの主流スポーツといえば、アメリカンフットボール、バスケットボール、ベースボールが三大メジャーとなっているのですが、最近はアメリカでもサッカーに注目が集まり出しているのです。さらに2007年から、アメリカのメジャーリーグサッカーの“ロサンゼルス・ギャラクシー”にデビット・ベッカムさんが移籍をすることが決定したため、アメリカでのサッカー普及の一環として、4作目をアメリカリーグの物語として画く構想になると思われます。


 ということで、だんだんサッカーファンしか楽しめない、マニアックな映画になり始めているような気がしているaliasなのでした。


 物語は、ニューカッスルで活躍するサンティアゴのプレーに目を付けた監督が、マイケル・オーウェンと引き換えに彼をレアル・マドリードへ引き抜いた。イングランドのFAプレミアリーグからスペインのリーガ・エスパニョーラへ移籍することになってしまったが、銀河系軍団と呼ばれ、ジダン、ベッカム、ラウールなどの多くのタレントがいる世界最高峰のチームからの要請に、彼は喜んで彼女と一緒にスペインへと移住する。

移籍後、チームにも馴染み、初の出場試合でゴールを決めるほど順調に進んでいたが、家族を捨てたはずの母親が、このスペインの地に住んでいることを聞いてショックを受けてしまう。そのことに心を振り回されてしまった彼は精神的に不安定になり、試合中に一発レッドの退場や練習に遅刻するなどのミスを繰り返してしまうだけでなく、さらに彼の不注意で足を骨折してしまう。監督やチームメイトからの信用を失い、彼女もイギリスへと帰ってしまう。そして彼は…。


 前作では、ベッカムさん、ジダンさん、ラウールさんなどの選手たちが顔見世程度に出演していたのですが、映画宣伝のためのゲスト出演だと思っていたので、まさか2作目でスペインのレアル・マドリードに移籍するための伏線とは思いもしなかったのです(それにアメリカとイングランドの合作でしたからね!)。

aliasの予想としては、今回は移籍などによる金まつわる話になると思っていたのですが、FIFAやレアル・マドリードの全面協力の映画となっていたため、クラブ経営や移籍になどに関わる汚いお金の話などは画かれず、お金や名声におぼれてしまうクノ・ベッカーさん演じる主人公を貶める脚本となっていました。

前作は棚からぼたもちというか、漁夫の利というか、わらしべ長者のようなサクセス・ストーリだったのです(おいおい)。そして、今回は2005年7月の「レアル・マドリード ワールドツアー2005 in Japan」で日本に来日したところから始まるのですが、一年もプロのピッチに立っていない新人選手を世界最高峰と呼ばれるチームに移籍するという設定は少しやり過ぎな気もするのです。さらに、時系列的考えると、3作目はワールドカップ直前に代表チームに呼ばれるという設定になるはずなので、サクセスし過ぎな気もするシリーズなのです。


 で、今回は実在の選手たちがチームメイトとなるため、2005-06年シーズンにレアルに在籍していた選手たちとの練習や試合の風景が映し出されるのです。実際の試合に9台のカメラを用いて映画を撮影したといわれるだけあって、それなりに臨場感のあるシーンとなっているのです。

なのですが、プレイヤーとして試合を戦っている主人公にリアリティーがないのです。フィールドで戦う選手たちの息遣いが聞こえるような生々しさがないため、テレビや観客として試合を見ているのと変わらない視点で画かれているのです。

そのため、実在しているプレイヤーたちとの一体感がなさや距離感のようなものが画面から伝わってきてしまうため、サッカーとしての面白さが伝え切れていないような印象を受けてしまいました(監督の意図した結果だったのかもしれませんけどね…)。


 次回の三作目は実際のワールドカップの会場でロケを敢行した映画です。2006FIFAワールドカップ・ドイツ大会の全試合をテレビで見ていたので、それをどんな風に再現するか?楽しみなのです(中田英寿さんの出演もあるみたいです)。

そして、どの国でワールドカップに出場するのか?という疑問なのですが、前作の頃はイングランドに帰化すると思っていたのですが、今回スペインに移籍してしまったので、その可能性は消えてしまい、彼の生まれた地であるメキシコになりそうな気がしてきました。


 もしも、4作目の製作が進行するとしたら、アメリカで活躍するベッカムさんをリスペクトしただけの映画になりそうな気がしているaliasなのでした(ジーコさんがJリーグで戦っていたような、ある意味での物悲しさが漂うのです)。



GOAL!2 STEP2 ヨーロッパ・チャンピオンへの挑戦 スタンダード・エディション
GOAL!2 STEP2 ヨーロッパ・チャンピオンへの挑戦 スタンダード・エディション

2007年05月24日

007/カジノ・ロワイヤル

 この映画は2006年12月1日に公開されたのですが、同時期に公開された仲間由紀恵さん主演の時代劇映画“大奥“と合わせて”ダブルオー・キャンペーン“をしていました。もちろん日本だけでのキャンペーンとなるのですが、007と009(オーオク)に引っ掛けたダジャレな企画なのでした(本当に配給会社が認めた企画だったのかな?)。


 で、今回のカジノ・ロワイヤルは公開前から評判が悪く、映画の公開日が決定しているのに監督が決まらなかったり、主演のダニエル・クレイグさんがボンドのイメージと違うということで、一部ボンド・シリーズのファンにより、ネットで映画のボイコットキャンペーンなどが繰り広げられたのです(参考:CraigNotBond.com←現在は閉鎖してます)。

原作となるイアン・フレミングさんの小説によると、ジェームズ・ボンドさんは、身長6feet(183cm)、青い目を持ち黒髪、76kgの痩せ型などの細かい設定があるのです。そのため、ダニエルさんは身長が足りないとか、短髪の金髪であることなどの相違点が取り上げられ、耳が大きいことまでが抗議の対象となってしまいました。

さらに、映画の撮影が始まってもヒロインのボンドガールが決まらなかったり(フランスの無名に近かったエヴァ・グリーンさんに決定したのです)、今回のボンドカーが“アストン・マーティン”(アストン・マーチン)社のDB5というクラッシック車だったのですが、ダニエルさんがオートマ限定の自動車免許しか持っていなかったので、このマニュアル車に乗ることが出来ず、慌てて運転免許を取りにいったことなどが報じられ、公開前から、散々ケチのついた映画なのでした。


 物語は、ジェームズ・ボンドが007になる前から始まる。爆弾テロ犯を追いかけていたボンドは、フランス大使館に乗り込み犯人を射殺したが、現場をカメラで撮られてしまい、国際ルールを破った行動をマスコミが大々的に非難した。上司であるMは常識的な態度をボンドに求めるが、彼は命令も聞かずに独自捜査を進める。その後、バハマへ渡った彼は新型ジェット機を爆弾テロ犯から守ったが、事件の首謀者であるル・シッフルは狙いを定めた企業に爆弾テロを仕掛けて株を暴落させ、株式市場を操作して金を儲けている事実を知る。そして、ジェット機の爆弾テロ失敗により大損をしたル・シッフが、負け分を取り戻すため全財産を注ぎ込みカジノの大会に参加することを知った上司のMは、カジノの大会で彼を破産させ、生け捕りにすることをボンドに命じる。そして彼は…。


 ボンド映画と言えば、冒頭はパラシートで下りてくるとか、派手な演出が多いシリーズ作品なのですが、今回は便所で犯人を叩きのめすシーンを白黒画像で映し出すのです。

そして、ボンドを狙っている銃口に向かって、ボンドが逆に銃弾を打ち込むというお定まりのシーンはあるのですが、今回はいつもの“ジェームズ・ボンドのテーマ”が流れてこないし、グラマーな女性のカットもないオープニングなのです。

オープニング後は、爆弾テロ犯を追い詰める展開なのですが、骨組がむき出しになった建設中のビルでの追走劇が繰り広げられるのです。いつものスーツ姿ではないのですが、目眩を起こしそうな高さで展開されるアクションシーンや、後先を考えないボンドの無謀な行動は迫力のある映像になっていて、今までのボンド・シリーズの枠から外れたような、荒々しさとリアリティーを追求した映像に引き込まれてしまいました。


 構成としては、前半からの全開のアクションと、カジノでのゲームを絡めた駆け引き、そして恋愛を絡めた展開となっています。全体的にはレベルの高いエンターテイメントな映画でしたが、肝心のカジノでの場面ではポーカーのみで長時間戦うのです。

通常はバカラなどの方が高級感が出るはずなのに、こんな映像にしたのは、賭博として世界的にメジャーなのがポーカーだったからなのかもしれませんが、ルールが分かっていない人には全く緊迫感が伝わってこないと思われますし、ルールを知っているaliasとしては、オープンにされている手札を見ると、どんな展開になるのか分かってしまうので、中だるみに感じてしまいました。


 で、ボンド・シリーズでは、男の象徴とされる部分を拷問するのが定番らしいのですが(全作品は観ていないので詳しいことは知らないのです)、やはり男の尊厳を傷つけるためには、男性のs;菰/ケ-lミ乎i(18禁な言葉は文字化けするシステムなのです)を攻撃することが重要なのでしょうか?今回のボンドは裸で執拗に、そこを攻撃されていました。

歴代のボンドって、軟派な線の細さを感じさせるイメージがあったのですが、クレイグさんの体格がマッチョだったり、野性味を感じさせるアクションだったり、今回の拷問されるシーンも含めて、悪い意味ではない男臭さを感じさせる人なのです(でも、女性の口説き方はスタイリッシュなのです)。ちょいワル親父を目指す男たちの見本のような人でした。


 ということで、オープニングで“ジェームズ・ボンドのテーマ”が流れなかったのですが、エンドロール直前で、いつものスーツ姿になり、「My name is Bond」と名乗ってから、あの曲が流れ出しました。つまり、この時点で彼はいつものボンドになりました!という演出だったのでしょうか?

この作品は明らかに続編があることを前提にした終わり方だったので、今回の評価を受けて、どのような作品を作ってくるのか?楽しみにしているaliasなのでした。

(次回は2008年予定なのです)



007 カジノ・ロワイヤル デラックス・コレクターズ・エディション (初回生産限定版)(2枚組)
007 カジノ・ロワイヤル デラックス・コレクターズ・エディション (初回生産限定版)(2枚組)



で、そんなこんながありまして、続きを読む?

2007年05月17日

エラゴン 遺志を継ぐ者

 この映画の原作は、クリストファー・パオリーニさんが15歳の頃から物語を執筆し、17歳で自費出版したことで見出されたファンタジーの物語なのですが、全米で300万部を売り上げ、世界40ヶ国へ翻訳されたほど人気がある小説だそうです。


エラゴン 遺志を継ぐ者―ドラゴンライダー〈1〉


 ファンタジーなので、“ロード・オブ・ザ・リング”や“ハリー・ポッター”、“ナルニア物語”に続く、三部作の1作目として、20世紀FOXの期待が込められたシリーズ作品でした。

そのため、2006年11月10日から“タッチ・ザ・エッグ キャンペーン”が行われました。5大都市として福岡→大阪→名古屋→札幌→東京と劇場を縦断して行われたのですが、映画に出てくるドラゴンの卵を劇場に展示して、約一ヶ月の間に全国で100万人のお客様に触ってもらう企画だったそうです。

そして、公開の初日となる12月16日には主演のエド・スペリーアスさんが来日しました。そこに同席した、日本語吹替版の声優である山田孝之さんが、それまでに99.999回手が触れられた卵の、記念すべき最後のタッチする役目を務めたのです。


 ということで、結局は10万人にしかしか触ってもらえなかった、企画倒れなイベントになってしまったのでした(かわいそうに…)。


 物語は、かつて、ドラゴンを操る者であるドラゴンライダーにより世界の平和が保たれていたが、ガルバトリックスの裏切りにより、ほとんどのライダーたちが殺されてしまった。ある日、15歳の少年だったエラゴンは青く輝く大きな石を見つけるが、それは世界の運命を握るドラゴンの卵だった。だが、それを知ったガルバトリックス王の部下の追及により、家族は殺されてしまう。まだ幼い彼と、生まれたばかりのドラゴンは逃亡の旅に出るが、彼は旅の途中で、ドラゴンライダーとして選ばれし理由を知る。そして…。


 ファンタジー作品における龍やドラゴンは、神に近い存在や悪の権化にされる場合が多いのですが、今回は15歳のあどけなさの残る若者と同様に、卵から孵化するところから始まるので、炎を吐くことさえ出来ない未熟なドラゴンなのです。

そして、主人であるドラゴンライダーが死ぬと、ドラゴンも一緒に死んでしまうという設定や、テレパシーのようなもので人間と意思疎通可能なメスのドラゴンという設定、伝説の生き物を馬のように乗りこなすドラゴンライダーというネーミングなど、うまく作り上げられたキャラクターになっていました。

さらに、ドラゴンの造形や動きなども計算されていて非常に細やかな動きもするのですが、画面から見えなくなるほど高速で飛び回る姿には圧巻なのです


 なのですが、物語の全体としては、少し物足りなさを感じるのです。

たとえば、ドラゴンとドラゴンライダーとの関係は、上記に書いてあるほど密接な設定になっているのに、彼女との友情や信頼関係を育むようなシーンが無かったり、

幼い彼を一人前に育てる師弟関係や、彼の前に立ちはだかる強大な敵も出てくるのですが、人間の愛憎の部分が省かれていたり、パターン化されているため、世界観は重厚であるものの、物語自体は希薄な印象を受けてしまうのです。

最初は、15歳の少年時代から創作した物語だから、人生観が伴っていない薄っぺらな物語になっているのかな?と思っていたのですが、全体的に物語の進行がタイトになっているので、3部作に収めるには窮屈なほど壮大なストーリーなのかな?と、思わされる展開の映画でもあったのです。


 ドラゴンの設定以外は特に目新しさは無いのですが、ファンタジーな要素は詰め込まれ、新人の主人公を支える豪華な脇役人となっていたので、無難に楽しめた作品でした。

なので、2作目以降に期待してみるaliasなのでした。



エラゴン 遺志を継ぐ者

2007年05月14日

日本以外全部沈没

 やっぱり、日本沈没を観た後は、この作品を観ておかないとね!

この映画の原作は筒井康隆さんの短編小説なのですが、日本沈没の原作を書いた小松左京さんから許可を得て、1973年にパロディー作品として書かれた小説です。

aliasが読んだときは、“農協 月へ行く”という表題作品に収められた短編集の小説だったのですが、題名には“日本以外全部沈没”と強調して書いてありました。

日本以外の大陸がほとんど沈んでしまうという設定に驚かされたのですが、20ページほどの短編作品だったため、難民として訪れてきた外国人たちが卑屈に日本人に媚を売るというブラックユーモアや、欧米人に対する日本人の劣等感ぐらいしか画かれていなかったのです(でも、登場人物はほとんど実名なのです)。


 で、今回は30年以上前の作品を、現在の視点で画くということで、

ブラッド・ピットさんやジョニー・デップさん、キアヌ・リーブスさん、デビッド・ベッカムさんたちが、日本でホスト・クラブの従業員をしてくれたり(おいおい)、

キャメロン・ディアスさんやサラ・ジェシカ・パーカーさん、ジェニファー・ロペスさんが、メイドになって家をお掃除してくれるようなシーンを画くのかな〜?(悪ノリしすぎだ!)と妄想して、楽しみに映画を観てみたaliasなのでした。


 なのですが、日本以外の大陸が沈没していく姿を、ウルトラマンの初代が活躍していた頃と変わらないような特撮で表現するため、物語の中に入り込みにくいのです。

さらに、日本人に媚を売る外国人たちや、欧米諸国に劣等感をもつ日本人などの切なくなるようなシーンも画かれているのですが、1970年代の倫理観念を持ち出すため、現代の日本人の感覚からはかなりかけ離れたストーリ展開となっているのです。

そして、領土を失った世界中の人々が日本に難民として救済を求めてくるということなので、在日米軍基地など領土の問題、現代の中韓との微妙な国際情勢、そして、北朝鮮の金正日総書記まで出てくる微妙な内容を扱ったストーリーとなっているのですが、パロディーに原作を踏襲するだけの作品になっていました。


 それに、筒井康隆さんの短編作品は、今読み返すと、どうしても面白く無くなっている印象になってしまうのです。

たとえば、深田恭子さんでテレビドラマ化された“富豪刑事”などは、難事件を解決するために、自分の財産を湯水のごとく注ぎ込むという設定や、 “農協 月へ行く”という作品は、ロケットで月の観光旅行へ行くが、日本から出たことも無いような世間知らずの農民だったため、数々の問題を起こすという設定になっているのです。

そのため、短編集に関しては筒井康隆さんの着想を楽しむ作品になっていることが多いのですが、彼の手法や着想はドラマや映画などで何度も模倣されてきたため、現代では、どこかで見かけたような陳腐な作品に見えてしまうのです。

つまり、1970年代に作られた作品に、現代の手法や新たなる構想を練りこまず、製作サイドがそのまま映画にしてしまったため、この原作が生かしきれていないのです。


 ということで、B級映画どころか高校生の文化祭レベルのような作品となっているのです。でも、リチャード・ギア風の男が、最初はオスカー俳優ということで丁重に扱われるのですが、やがて、落ちぶれ仕事も無くなり、最後は風俗の看板を担いで客の呼び込みをするという展開に、ある意味で、楽しんでしまったaliasなのでした(笑えない)。



日本以外全部沈没
日本以外全部沈没

2007年05月13日

日本沈没

 この映画は、小松左京さんの小説が原作なのですが、1973年に映画化された時の観客動員数は、今でも記録として上位に残っている作品なのです。それをリメイクした作品なのですが、52億円の興行収入となり、2006年度の邦画のみのランキングでは4位と好成績だったようです(現在のヒット作と呼ばれる基準は20億円あたりになるそうです)。

この作品は7月15に日本公開されましたが、同年の8月31日に韓国で公開されました。日本が沈没するということで、韓国では100万人以上観客動員となり、週間での興行成績の1位を記録し、邦画初の偉業を遂げた作品だそうです(笑えない)。


 今回は豊川悦司さんが主演の作品ではないのですが、昔から彼が出演する映画は、期待を集めていても高い確率でヒットしないので、なぜ?今回はヒットしたのか??が気になり、映画を見てみたaliasなのでした(フラガールは大ヒットしただろ!)。


 物語は、ハイパーレスキュー隊員(柴咲コウ)と深海潜水艇のパイロット(草なぎ剛)は、大規模の地震による災害で孤児となってしまった女の子をきっかけにして恋が始まった。その後、日本列島で地震が頻発する中、40年後に日本が沈没してしまうことがアメリカの学会によって発表された。政府は全国民の海外への移住先を決めるため、長期的な計画を進めるが、アメリカの研究者が見逃していた事実を計算に入れると、日本が完全に沈没するのは1年後だということを知る。政府はその発表を遅らせ重要人物を優先的に海外へと脱出させるが、一般人達は災害の起こる中、逃げ惑うことしか出来なかった。阪神・淡路大震災で被害者でもあった彼女は、必死のレスキュー活動を続けていたが、優秀なパイロットだった彼にも海外移住の話が持ち上がる。そして…。


 この映画の冒頭で、柴咲コウさんがヘリコプターから劇的に被災者を助けるシーンがあるのですが、他の映画をパクった様な笑撃的なシーンだったので、B級映画であることを確信してしまいました(言い過ぎだって!)

それに、この映画を通して観ていると、柴咲コウさん演じるレスキュー隊員は身内の家族しか助けていないようなシーンになっていますし、被災者が建物の下敷きになっているかもしれない状態でヘリコプターでレスキュー活動をしているのを見ると、神戸の被災者という設定が埋もれてしまうため、リアリティーが無くなってしまうのです(ヘリの爆音を鳴らしながら上空を飛行していると、建物に埋もれている人の助けを求める声が聞こえなくなってしまうことを、当時を知る人は覚えているからなのです)。


 この作品は日本が沈没するということで、その理由が重要となるのです。地質や断層などの知識はほとんど無いのですが、冒頭から説得力のある内容となっていました(それでも、一年という単位になると、すこし無理のあるような気がしますけどね…)。

そして、高エネルギーにより破壊されていく建物などは迫力を持って画かれていました。防衛庁や東京消防庁の全面協力により、多数の特殊車両などが出てくるので、戦国自衛隊1549ように多少不自然な展開ですが、リアルさを強調していました。


 なのですが、首相を警護するSPがあまりに弱すぎる点や、石坂浩二さん演じる首相が、近い将来に日本の領土がなくなるという学者の論説を疑問も抱かず受け入れていくところなど、政治中枢や国際情勢などが不自然な展開になっているのです。
 
それに、ゴジラなどの昔の映画では、怪獣が大都市に来て暴れるという不自然さがありましたが(なぜか?過疎な地域に怪獣は出没しないのです)、今回も地震が起きる場所が東京、名古屋、大阪、北海道、九州など大都市が順番に破壊されるのを見ていると、昔の怪獣映画を思い出すような展開になっていました。


 で、今回は柴咲コウさんがハイパーレスキュー隊員で、草なぎ剛さんが深海潜水艇の優秀な搭乗員という特殊な任務を持つ恋人同士の二人は物語の鍵となる人物なのです。でも、主題歌でバックに流しながらここで泣いて下さい!と強要するような演出も気になるのですが、特殊任務についているため関係者以外立ち入り禁止の場所で働いているはずの二人が、何の問題も無く行き来しながら愛を語らうシーンにも不自然さを感じてしまいました。


 ということで、何で?こんな映画がヒット作品になったのか??ということも気になったのですが(言い過ぎだって!)、小泉純一郎元総理風にしている石坂浩二さんの不自然な髪型が一番気になってしまったaliasなのでした。



日本沈没 スタンダード・エディション
日本沈没 スタンダード・エディション

で、そんなこんながありまして、続きを読む?

2007年05月06日

バベル

 遥か遠い昔、言葉は一つだった。人間たちは神に近づこうと、天まで届く塔を建てようとした。怒った神は言葉を乱し、世界はバラバラになった。


 この映画は、旧約聖書に記されたバベルの塔をテーマに構築しているのですが、日本人としては、砂の嵐に隠されたバビルの塔に住んでいる超能力少年である“バビル2世”で有名な都市なのです(例えが古いって!)。



バビル2世 (8)



 テレビのCMや予告編で上記の内容や「その結末に、世界が息を呑む」と大々的に宣伝していたのですが、モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本、それぞれ違った言語を持つ4ヶ国のストーリーがオムニバス形式で画かれます。そのため、ブラット・ピットさんや役所広司さんらがキャスティングされていましたが、共演しているわけではなく、同じ作品に出演していたという状態になっていました。

で、日本ですら無名だった菊池凛子さんは、当然のようにアメリカの予告編では彼女の名前は表示されていませんでしたが、日本では、彼女が第79回アカデミーの助演女優賞にノミネートされたということで、連日、ワイドショーなどを賑わし、りんこ!リンコ!凛子!!!と何度も連呼されていました。でも、2月の発表以後は、祭りの後のように全く話題に上らなくなりましたね〜。

なので、この映画はゴールデン・ウィーク公開だったのですが、話題になってからかなり時間が経過していたので、まだ公開されてなかったんだ〜!という印象だったaliasなのでした。


 物語は、モロッコで放牧をしている兄弟が父親に与えられた銃で試し撃ちをするところから始まる。

離婚の危機に瀕した夫婦は子供たちを預け二人だけでモロッコに来ていたが、バスの中で妻が銃撃を受けてしまい瀕死の重傷を負う。山間部の辺鄙な場所だったため携帯も通じず、近くの街に妻を下ろし救急車を呼び、大使館へと救助要請をするが、地域の事情と政治的な要因があり、いつまで経っても助けは来なかった。

一方、明日に控えた息子の結婚式を楽しみにしていた、アメリカに不法滞在をしているベビーシッターの女性は予定通り帰ってこない親に対して困り、他に預け先のない子供たちを式の行われるメキシコへと連れて行く。

その頃、日本の女子高生のチエコは話すことが出来ないという障害のため、世間と接する機会が極端に減ることに悩み、孤独を感じていた。

これらの物語が、やがてひとつの物語へとつながる。そして…。


 映画を見る前は、菊池凛子さんが脱いでいることしか情報で入ってこなかったのです(おいおい)。でも、日本のパートは今回の物語では主題となるストーリーとは関わりの薄いエピソードなのですが、この作品を象徴する重要なパートになるのです。

性の堕落した女子高生として画かれていたため、日本を侮辱した設定になっているということで、日本では評判の悪い役どころだったようですが、ナンパをしてきた男性が、相手が聾唖者と分かった途端に手の平を返すように逃げていく姿など、切なくなってしまうほどの少女の描写を画くのです。

さらに、思春期の女性が普通の恋愛を出来ない辛さ、異端のものとされて好奇の目にさらされる姿、それゆえに自暴自棄になったり、自分を気にかけてくれる人のためにすべて投げ出してしまう悲しみなど、切ない少女の苦しみを表現していました。


 そして、全体の物語は時間軸をずらしながら、言語の違いで起こる問題だけでなく、文化における摩擦や人種差別、男女格差、核家族化、政治状況、宗教など、世界中の人がばらばらになってしまっている事をバベルに例えるのです。そして、人に伝えたいが伝えられない思いやもどかしさにより、別の選択肢を選らんでしまい、おろかな言動をしてしまう人の業までも画きだすのです。


 そんな深いテーマまで画かれ、一つひとつのストーリーには説得力があるのですが、全体としては、まとまりが無い様な印象を受けてしまうのです。

オムニバス作品としては、物語のつながり方や複数のストーリーを一つにまとめ上げる説得力などが魅力なのですが、連鎖する悲しみなどが共通して画かれているものの、ひとつの物語としては構成自体がバベルになってしまっていて、ちぐはぐな映画の印象を受けてしまうのです。そして、あまりに中途半端なエンドロールを迎えるこの物語は、観客に問題を押し付けるような作品となっていました(監督はドキュメント作品のように、この悲しむべき状況を観客に提示したかったのでしょうか?)。


 物語の奥深さやタブーとされるようなテーマまで画く展開など、見所の多い作品だったのですが、「その結末に、世界が息を呑む」と大々的に宣伝した映画会社の広報戦略に、別の意味で息を呑んでしまったaliasなのでした(意味不明)。



バベル スタンダードエディション
バベル スタンダードエディション
で、そんなこんながありまして、続きを読む?
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。