2008年01月28日

グミ・チョコレート・パイン

 ということで、あんなことこんなことがありましたが、テアトル新宿での上映から1ヶ月ほど遅れ、aliasの住む地方でも無事公開されました。

で、映画館の上映時間を調べていると…


☆初日ご来場の先着60名様に“しるこドリンク”をプレゼント!
(提供:サンガリア「ふるさとの粒しるこ」)



と書いてありました。そんなものをもらっても迷惑なのにな〜と思っていたのですが、
残念ながら入場口で否応無く、おしるこを手渡されてしまったaliasなのでした。






 物語は、2007年に会社をリストラされ、東京郊外の実家に戻ってきた大橋賢三は、
一年前に届いた山口美甘子からの手紙を見つけた。高校時代の彼の憧れだった彼女は
一年ほど前に自殺してしまったことも友人から知らされる。そして一枚の便箋にはたった
一行「あなたのせいなのだから。」と書いてある。

21年前の1986年、高校2年生だった彼は、流行を追いかけくだらない話で盛り上がっている同級生たちをバカにしていた。数多くのマイナー映画まで網羅していることを誇る彼だったが、クラスメイトの女の子に話しかけることも話しかけられることもない存在でしかなかった。しかし、普通の高校生が行くはずも無いようなカルト映画の劇場で山口美甘子を見つけ、間違って買ってしまったおしるこがきっかけで映画談義をするようになり始めた。普段、彼は数少ない友人のカワボンとタクオで夜通しアンダーグラウンドなロックを聴き互いに語り明かしていただけだったが、バカな同級生たちと自分たちが違うことを証明するために“キャプテン・マンテル・ノーリターン”というノイズバンドを結成した。しかし、全くの素人でギターを買う金さえない上に、担当だった作詞がうまくできずに焦りを感じてしまった彼は、プレッシャーから逃げ出すように妄想の中に山口美甘子を作り上げ、煩悩に振り回されしまい現実から逃避していく。そして…



 この作品はロックミュージシャンでもある大槻ケンヂさんの半自伝的物語が原作だというのに、上映中に4曲ぐらいしか流れないほど地味に展開するのです。そして、派手なオープニングの曲もなく「ビーバップ・ハイスクールみたいなケンカもなければ、ウォーターボーイズみたいに泳いだりもしない」という文科系の普通の少年の物語であることを、前面に押し出した地味なナレーションで始まる物語なのです。

映画の地味さをアピールしていたり、ストーリーも暗い印象を受けてしまうのですが、国生さゆりさんの“バレンタイン・キス”という曲を聴きながら、いきなり主人公役の石田卓也さんが自慰行為をはじめたり、その状態を母親に覗かれるシチュエーションなどを作り出すので、リビドーの塊である高校生の強い性衝動とオナニーへのこだわりで、劇場から笑いや苦笑がもれるのです。他にも、本人は真面目なのに別の視点から見るとこっけいに見えてしまう状況を作り出す演出なのです。

そういえば、黒川芽以さんが“聖子ちゃんカット”というもので出演していました。この髪形だけに限っては、本当に流行ってたのか?と思うほど不自然な髪型でしたが、80年代を再現したアイテムや風景、閉塞した時代描写などが物語にリアリティーを与えていました。

さらに、ガメラの怪獣と同じ名前のジャイガー(犬山イヌコさん)やバイラス(山西惇さん)などの破綻した論理を振りかざすノイズバンドの人達など、言葉の通じない癖のあるキャラクターたちにやり込められ流されてしまう気弱な文科系の高校生たちの姿を見ていると、微笑ましいものを感じてしまいました。映画を観る心理状態によって多少は変わると思いますが、人を嫌な気分にさせるものを画きながら、同時に笑いを引き出すカットに、この監督の演出・脚本のすごさを感じました。


 なのですが、そんな癖のある脇役の人達にストーリーのベクトルを狂わされ、作品の主題が見えにくくなっていたり、物語の展開に整合性がないように感じてしまうのです。そして、大槻ケンヂさんへのリスペクトとして3冊分の原作の要素を多く取り込んだだけでなく、映画脚本としての書き足した要素もあるので、127分の映画に無理やり詰め込んだ印象を受けてしまうのです。

さらに、伏線や笑いなど、少しでも気を抜くと見逃してしまうほどスピーディーだったりするので、監督の世界観に少し戸惑いを感じました。

でも、最近のハリウッド映画や日本のドラマではスロー再生やクロスカッティングを多用し、重要なシーンや監督が魅せたいCGを強調する傾向にあります。さらに、観客の感情をコントロールするために「ここで泣いてください」と言わんばかりに壮大な悲しい曲を何度も流すなど、ドラマチックな演出を重視した分かりやすい作品を数多く見受けます。

で、この作品では重要なシーンや伏線などもそれほど多く強調しないのです。本来、日常の生活では彼氏と別れ泣き出しても雨が降り出したり音楽は流れないし、危機一髪の状況に陥ってもスロー再生にはならないように、この映画は現実の世界のようにリアルでスピーディーに展開するのです。でありながら、おしるこというアイテムだけで笑わせたり、和やかな雰囲気がいきなり凍りついたり、人と対峙する緊張感、少年たちの焦燥感などの感情面を見事に画面に映し出すのです。脚本・監督のケラリーノ・サンドロヴィッチさんが舞台で培った演出方法なのかもしれませんが、原作を見事に再現したシーンも含め、もう一度見てみたいと思うような映画なのでした。


 ということで、おしるこはこの映画にとって重要なアイテムなのですが、劇場で渡された缶と画面に映し出される缶とは別の商品だったことが一番気になったaliasなのでした
(おいおい)。


2008年01月23日

桜は見えない。

 先日、テレビを見ていると、小林麻央さんが出演する、お部屋探しはネットでCHINTAIの“株式会社CHINTAI”のCMを見かけました。

賃貸物件の情報誌を発行する企業のCMなのですが、全国にある物件をネットで次々と検索し絞り込んでいくという、パソコンを使ったことがない人には何のCMなのか?
全く分からない演出なのでした。





 2LDK
253098件

 オートロック
153098件

 駅 徒歩5分
93098件

 角部屋
7865件

 バス・トイレ別
2417件

 フローリング
943件

 コンビニ300m以内
21件

 桜が見える
1件


膨大にある物件から最後の一軒まで絞り込むコンセプトのCMには、静寂の中マウスのクリック音だけが鳴り響くので、意外と気持ちがいい映像なのです(でも、住む地域も決めずに2LDKから検索するところには不自然さを感じてしまうのです)。


 で、桜が見えるということまで物件情報に載せるなんて粋な会社だな〜と思ったので、引越しの予定もないのですが、“桜が見える”だけで検索してみると、



該当する物件がありませんでした。

・ウィークリーマンション、マンスリーマンションをお探しの場合は、MonthlyCHINTAIをご覧ください。
・大学名でお探しの場合は、「○○大」ではなく「○○大学」と大学まで入力してください。
・より一般的な言葉を使ってみてください。



と、一蹴されてしまいました。

なので、もう一度CMを見てみると、見過ごしてしまうほど小さな文字で、


実際の検索概要とは異なります。


みたいな事が書いてありました(aliasは高解像度の大画面テレビではない、普通サイズの一般TVを使っているのですが、文字がつぶれて判別することができないのです)。



 ということで、2008年1月23日現在、CHINTAIでは桜が見える物件がないことを証明してしまったaliasなのでした(おいおい)。



桜(通常盤)
桜(通常盤)


2007年12月09日

ベオウルフ/呪われし勇者

 2007年12月1日に公開されたこのアクション映画は、レイ・ウィンストンさんやアンソニー・ホプキンスさん、アンジェリーナ・ジョリーさんたちが画面に映し出されるのですが、実はモーション・キャプチャーの技術により取り込まれたフルCGアニメ映画なのです。






 気持ち悪いほどにリアル過ぎるアニメは、ロバート・ゼメキス監督が提唱するパフォーマンス・キャプチャーという3Dを再現する技術によって作られているのです。そのため、この3D技術のことを前面に押し出した宣伝をしているのですが、以前に同じパフォーマンス・キャプチャーを使って作られた“ポーラ・エキスプレス”という2004年の作品は、歴代映画の中でもトップクラスに入る1.50億ドルもの巨額の制作費を使ったものの、本土では1.75億ドルの興行収入しかなかったことを忘れていないaliasなのでした。

で、今回はデジタル3-Dシネマでの公開もありました。従来の3D映画は片方ずつ色が違う赤と青のメガネをかけて観るというスタイルでしたが、今回のデジタル3-Dシネマ形式ではデジタル3D専用のシルバースクリーンに張り替えられ、プロジェクターには専用のレンズ(Z-Screenレンズ)を装着し、色の再現が損なわれない3Dメガネを使用していました(従来のように色が付いていないし、眼鏡の上からでも装着できるのです)。そのため、設備がない施設では公開できないので、日本ではワーナーマイカル系の20劇場と他の劇場を含む全国29館でしか観られない上に、鑑賞料金も2000円と少しお高めなのでした(このめがねはお持ち帰りできるのですが、いったい何に使えというんだ?)。


 2005年に、CGアニメ技術の進歩で驚かされた作品として、ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレンというカメラアングルなど未来を感じたアクション作品があったので(ストーリーはぼろぼろでしたけどね…)、この映画の予告編からも何か新しいものを感じたaliasは映画館へと足を運んだのです。



 物語は、六世紀初頭、まだデルと呼ばれていた頃の古代デンマークにはフロースガールと呼ばれる王がいた。絶大な権力を持つ彼は、毎晩のように宴を開きこの世を謳歌していたが、酒宴の騒ぎを嫌ったグレンデルと呼ばれる異形の怪物に襲われ、部下を含め多くの者たちが殺されてしまう。その事件以来、酒宴を禁止しひっそりと暮らしていた王の下へ、海の向こうから勇者と呼ばれるベオウルフが14人の兵士たち共に駆けつけた。王より退治を命じられたベオウルフは、再び酒宴を開き怪物を呼び出そうとするが、武器も持たない怪物と対等に戦うため、鎧を脱ぎ捨て武器も持たずに裸一貫で戦うことで、本当の勇者であることを証明しようとする。そして…。



この作品に関しては英国最古の文学のひとつであることや、ロード・オブ・ザ・リングなどのファンタジー作品に影響を与えた物語として大々的に宣伝していたのです。そのため、教訓や因縁的なものを2部構成で画く王道の物語は、怪物やドラゴンと戦う英雄譚なのです(宗教的な下地があるので日本人としては少し解りにくいかも?)。

でも、酒宴で酔っ払った男たちがケ’蕎3s*}やシ彌%.4なことなど下品な言葉を言ったり(18禁な言葉は文字化けするシステムなのです)、なぜかベオウルフが裸で戦う設定のため2jミ薙gレをぎりぎりで隠すB級映画的に笑える演出をしたり(これも18禁なのです)、この物語のキーポイントなる妖艶な宿敵として現れるアンジェリーナ・ジョリーさんがボディーペインティングしかしていないような露な格好で登場するのですが、氣@ソ雌7;テ]が見えてしまいそうな映像なので(文字化けしすぎだ!)、R指定の必要性を感じる子供には見せられないような映画なのです。

なのですが、すべてはCGなので、決して画面にそれが映し出されることはありませんし、R指定のぎりぎりの境界線まで挑戦しているような、女性のエロさと男性のマッチョさなどの肉体美を追及した映画でもあるのです。

予告編を観てると、アンジェリーナ・ジョリーさんが主役級のように出演していると思っていたのですが、彼女が映し出されるシーンは10分にも満たないほど短い出演シーンになっているのです。なのですが、彼女が裸同然の格好として映画で扱われていても問題がないほど、この映画の重要な人物としておいしい出演なのでした(今回、主人公のマッチョな肉体がCG加工で作られていたことは有名なのですが、すでに32歳のアンジェリーナ・ジョリーさんの肉体はどれぐらい補正されてたんだろ?)。


 この作品は実写のようなアニメ映画なので、背景や肉体などはリアルに見える映像にはなっているのですが、物理的なものが人物に当たったときにゆがむ肉体の表現や髪の毛の動き、俳優たちの表情描写などを見ていると、まだまだ実写映像とはかけ離れ、作り物であることを再認識させてしまう程度のものなのでした(でも、小さなテレビで観たら実写と間違えるかも?)。しかし、物語の中盤ぐらいに差し掛かるとその違和感もなくなり、カメラでは決して撮ることのできないアングルや視点移動、さらに3Dということもあり、怪物やドラゴンと戦うシーンには圧倒的な迫力と魅力のある映像となっていました(でも、アトラクションのように展開するアクションはあまりにアピールし過ぎた映像だったので、少し鼻につくのです)。



 実写映画では演じる役者さんがその場で思いついたような演技が反映され名場面となったり、再現不可能なシーンを別の方法で撮影したことで斬新な映像になってしまったり、現場の雰囲気を活かした映画など、現場での苦労を宣伝した映画もたくさんありました。でも、ここまで映像を作れるようになった現在では、役者というネームバリューや演技力、体形すら気にする必要もなく、監督の脳内にある映像だけですべてを作り出すアニメ製作現場と変わらない時代になってきたことを感じました。

そして今回、体や表情などすべてをデータ化されたアンソニー・ホプキンスさんやアンジェリーナ・ジョリーさんは老いてしまったり、亡くなってしまったとしても、別の人物が演技をしてバックアップされた彼らの顔に張り替えるということを永久的にできてしまう事となり、肖像権に対する新たな利権も生まれてきそうな気もします。

さらに、“ほしのこえ”や“秒速5センチメートル”などのアニメ作品をほぼ一人で制作した新海誠さんのように、10年後ぐらいに素人でも簡単にCG動画技術を駆使できるようになったら、どんな作品ができてくるんだろう?と思いを馳せてしまったaliasなのでした。

2007年11月12日

バイオハザードIII

 2007年11月3日の文化の日は、前作が日本アカデミー賞を総ナメにした“ALWAYS 続・三丁目の夕日”、書籍化したケータイ小説が一ヶ月で100万部を突破した“恋空”、そして、シリーズ3作目となるこの作品が公開されました。

シネコンの行列を見てると、昭和の時代を再現した三丁目の夕日は大人や家族連れの人々、携帯で小説を読むという新しい媒体の恋愛物語には女の子や若いカップルたち、そして、この映画はほとんど男性ばかりという分かりやすい状況になっていました。


 で、初日2日間の成績を見てみると、


1位 動員数 45万人 興行 5.96億円  バイオハザードIII 

2位 動員数 43万人 興行 5.48億円  ALWAYS 続・三丁目の夕日

3位 動員数 39万人 興行 4.76億円  恋空


なのです。


 前評判のことを考えると、この意外な結果に驚かされてしまいました(バイオハザードはシリーズ史上最高の興行成績としてスタートしたのです)。

どうせ、すぐにバイオハザードIIIと恋空は人気が下がり、続・三丁目の夕日がロングランヒットして最終的にトップになると予想されるのですが、前作への思い入れが強すぎて、続編となってしまった三丁目の夕日は観る事はできないという人が意外と多いのかも?とも思ったaliasなのでした(バイオハザードへの前作の思い入れは無いっていうこと?)。


 物語は、ラクーンシティーでの惨劇から数年経ち、T−ウイルスは世界中に広まりアンテッドたちに埋め尽くされた地上は砂漠化されてしまい、文明社会は危機に瀕していた。今も監視衛星でアンブレラ社から探索されている主人公のアリスは監視の目をかいくぐりながらも生存者を探すための旅を続けていたが、生き残った人々は食料や武器、弾薬など残りわずかな資源を奪い合う生活を余儀なくされていた。だが、世界中を汚染しているはずウイルスが遠く離れたアラスカの地には影響を及ぼしていないという情報を知り、あの惨劇以来、離ればなれになっていた仲間と共に旅立つ準備を始める。そして…


 バイオハザードの特徴であった地下や建物内で戦うという設定から抜け出してしまい、“北斗の拳”や“マッドマックス”のような荒廃した砂漠の地で戦う設定になっていました。そのため原作であるゲームをプレイしていた友人は、オリジナルとはかけ離れてしまい、すでにバイオハザードではない!と言い切っていました。

なのですが、物語の冒頭ではクローン実験で使われた何十体ものアリス死体が捨てられている衝撃的なシーンが映し出されるのです。それはまるでミッションに失敗してしまいゲームオーバーになってしまった数だけ死体があるということを皮肉ったような、原作ゲームへのリスペクトを感じさせる映像でした。

この映画の情報を検索していると、「アリス、砂漠に死す。」とか最終章と書いてあったので完結編と思い映画を観ていたのですが、アリス計画やアンブレラ社の真の目的など、謎を含ませたままでのエンドロールとなり、さらに続編を匂わせるラストとなっていました(次回作が製作されるなら日本ロケもあるかも?)。


 で、主演であるミラ・ジョヴォヴィッチさんがこれまでのバイオハザード・シリーズ作品やウルトラヴァイオレットなどを経験し、完成度の高いアクション女優として彼女の魅力が満載されているのですが、彼女が同じ様なアクション映画にしか出演していないこともあり、どの物語も似通って見えてしまう演技や毎回全裸のサービスカットがあるということ自体も定番となってしまい、目新しさが見当たらない作品でもあるのです。

そのため、シリーズ史上最高の興行成績というスタートとなり、内容もそこそこに楽しめる作品に仕上がっているのですが、形式化したゾンビの演技やアクション、演出方法など、このコンテンツ自体がマンネリ化している印象を受けてしまうのです。

“13日の金曜日”というホラー映画が、シリーズを重ねるたびにコメディー映画へと変化していったように、この映画で続編を製作するには、これまでと同様の演出方法で観客を引き付けるのは難しくなってきたんじゃないのかな?と思ってしまう作品なのでした。


 ということで、何で?ALWAYS 続・三丁目の夕日を観に行かずにこの映画を優先してしまったんだろう??と後悔してしまったaliasなのでした(おいおい)

2007年11月09日

恋空

1200万人が涙。切ない恋がたどりつく、衝撃の結末。


 この映画は美嘉さんの“恋空〜切ナイ恋物語”という実話をもとにしたケータイ小説(←カタカナで書くのがポイントみたいです)が原作となるのですが、この作品が書籍化されたときは発売後1ヶ月で100万部を突破するほど人気があったそうで、上記のように1200万人がこの原作を読んだということを宣伝していました。

で、文字通りに受け取ると日本人の約10%読んだ計算になるのです。そして、この原作を読む世代的に考えると10代、20代の多くの人が読んだことがある、又はこの小説を知っているはずなのですが、その割には世間認知度としては低いような気が…。

なので、携帯小説のページへのアクセス数をそのままカウントして、1200万人が読んだ!ということにしたのかな?としか思えなかったaliasなのでした。



恋空〈上〉―切ナイ恋物語恋空〈下〉―切ナイ恋物語



 物語は、高校一年生だった田原美嘉は夏休みの直前に携帯をなくしてしまった。その電話は学校の図書室で見つかったが、その日以来、毎日のように親しげに話しかけてくる男からの電話が鳴りはじめた。最初は正体不明の男からの着信に気味が悪かったが、夏が終わる頃には親しい人へとなっていた。ついに始業式の日に二人で会うことを決めた彼女は相手が同級生のヒロという人物だったことを知る。やがて恋に落ちていった二人には、元カノからの悪質な嫌がらせや妊娠など様々な障害が訪れる。そんな二人は流産という危機でさえ乗り越えることができたが、高校二年生になった4月、ヒロが別の女とキスをしている姿を美嘉は目撃してしまい、さらにヒロから一方的な別れ話を持ち出されてしまう。そして彼女は…。


 この作品は、安易に性行為をしてしまう若者たちの姿や、元カノが復讐のために主人公の女性を男たちに集団でレイプさせてしまうシーンなど現代の若者たちの衝動的な行動を画くため、大人であるaliasからみると倫理観の欠如を心配してしまう設定なのです。

なのですが、彼女がレイプされてしまう痛々しいシーンが赤いお花畑で行われたり、見知らぬ土地で途方にくれる彼女を、ストーリ的に何の説明もなくヒロが探し出した場面で「愛の力で見つけ出した!」と大声で叫んだり、彼女が妊娠してしまい父親役である高橋ジョージさんがヒロに向かって「おまえに親の気持ちが分かるか!」と言ったりするのです(参考:高橋ジョージさんの妻である三船美佳さんが結婚したのは主人公と同じ16歳の時なのです)。

なので、あまり古臭い演出や配役設定などが、演出ミスなのか?笑わそうと思って作られた演出なのか?よく分からないまま中途半端な状態でストーリーが進んでいったため、いまいち物語の中に溶け込めませんでした。


 この作品に関しては物語の構成が破綻していることや登場人物たちの行動に一貫性がないことなどで批判されているのですが、原作となる連載小説が携帯の小さな画面では難しい文章や論理的な展開では読みにくくなってしまうため、話し言葉や改行を多くしたりするなどの制約があるのです。そのため文章力ではなく衝撃的な内容を扱うことで読者の興味を引くという方法しかなかったのかな?とも思えるのです(多くのマンガのストーリーが人気投票を意識し過ぎて破綻してしまっているのと同じような状況なのです)。

なので、原作となるケータイ小説としては機を狙った良い作品だったのかもしれませんが、映画という情報量の多い媒体に置き換える方法を間違えた監督やプロデューサーが悪かったため、物語が面白くないのではないか?と思わされる一面もありました。


 ということで、この作品の宣伝材料である衝撃的な結末さえ陳腐な演出となってしまい、清純派路線の新垣結衣さんの扱われ方が気に入らなかったファンからも酷評されているのですが、三浦春馬さんの男らしい演技や小出恵介さんのうまい演技に支えられ、意外とアイドル映画として昔ながらの愛を貫く王道の恋愛物語だったのです。そのため、古い映画や恋愛映画をほとんど観たことがないような若者たちだったら、泣ける映画に仕上がってるような気がするaliasなのでした。

(なので、大人が真面目に観るにはつらい作品だと思われます)

2007年10月14日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

 ということで、ようやく映画を観ることができたのですが、すでに2007年9月1日の公開から1ヶ月以上経っていたため、シネコンでは一番小さなスクリーンでの上映となっていました。


 “新世紀エヴァンゲリオン”と言えば今でもパチンコになるほど有名なテレビアニメなのですが、初めてアニメを見たときに、あまりに完成された物語構成や誰も観たことがないような映像に驚かされた記憶があるのです。でも、物語が進むにつれて定番アニメのような展開になってしまったり、物語が訳の分からない方向へと迷走し、途中で息切れしてしまい中途半端な状態で最終話を迎えてしまったイメージもある作品なのです。

なのですが、エヴァは純文学や哲学を思わせるようなすばらしい結末の作品だったと、今ではオタな友人たちが冷静に分析してくれるのです。でも、社会現象になるほど盛り上がった時代をリアルタイムで過ごしていた人々には現在のような冷静な判断ができる人は少なく、物語をちゃんと結着させろ!と言う声を多数が上げたため、制作会社であるガイナックスさんが映画という媒体を使って、新たなる物語の結末を作ることになったように記憶しています。


劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に
劇場版 NEON GENESIS EVANGELION - DEATH (TRUE) 2 : Air / まごころを君に



 今回は12年ぶりにリニューアルされた全4部の予定(←ここが大事!)の映画なのですが、“序”、“破”、“急”と3作のサブタイトルは決まっていて、最後のタイトルは未定という庵野秀明監督らしい思わせぶりな告知なのです(ちなみに序破急とは能楽などで使われる物語の構成方法のことを指し、起承転結のように使われる言葉だそうです)。さらにTVアニメを映画に焼き直した作品ではなく、人物や設定など微妙に変えて物語を再構築しているため、主となるストーリー展開も少しずつ外れていく作品になっているそうです。


 で、新劇場版の序はTVアニメでaliasが一番衝撃を受けたヤシマ作戦までを画いたストーリーだったので楽しみに観てきました(アスカさんはそんなに好きじゃないのです)。



 物語は、父に呼ばれ第3新東京市に上京してきた碇シンジだったが、特別非常事態宣言発令中のため駅から動くことができなかった。しかし、そこに高層ビルと同じぐらいの大きさがある正体不明の生命体が現れる。目の前で自衛隊と生命体との戦いが繰り広げられる中、怯えていたシンジの前にネルフ本部より迎えに来た葛城ミサトが現れた。彼女と共に危険な戦場から抜け出し彼らはネルフ内へと向かうが、彼女はヱヴァと呼ばれる巨大な物体の前に彼を連れ出した。さらに、シンジの父であり、ネルフの総司令でもあるゲンドウは、それに乗り込み使途と呼ばれるあの生命体と戦え言い放つ。想像もしなかった言葉にとまどい、目の前で見てしまった戦闘が脳裏をかすめ立ち竦んでしまい、全てを拒否するシンジだったが、弱音を吐いていた彼に代わり満身創痍の綾波レイが搭乗しようとする痛々しい姿を見て、彼はエヴァに乗り込むことを決意する。そして…


 この作品はテレビ放送されたフィルムを一切使わずに映画として再度撮影された作品なのです。なので、1995年にテレビアニメとは思えないほどの映像感覚を作り出した作品が、2007年ではどんな映像になっているのだろう?と思っていたら、な〜んか普通の映画なのです。当時の技術からは格段にレベルは上がっているのですが、現在ではアニメ業界全体の技術レベルが上がっていることもあり、この作品に他のアニメから飛び抜けたところが見受けられないため、普通の映画に落ち着いてしまっているのです。

さらに、そんな当時を知らない人達がこの映画を単独で観てしまうと、映画という短時間の媒体にアニメのストーリーを凝縮させていることもあり、登場人物の説明が不足していたり、十分な伏線が張られていないため物語に入り込みにくい状態となっています。


 ということで、新たな顧客を生み出すには不親切な作品でいて、映像的には当時を懐かしむために作られたような物足りない印象を受けてしまいました。

なのですが、次回の予告編などを見ていると物語が原作とかなり変わってしまっていることや、新たなる謎が生まれてきていること、年代表記が意図的に消されていることなど、オタクが刺激されそうな点を突いてくる庵野監督の物語構成のうまさがあるので、テレビアニメファンとしては次回以降も楽しめそうな気がしているaliasなのでした(簡単に言うと、エヴァ・ヲタ専用の映画だと思われます)。


で、そんなこんながありまして、続きを読む?

2007年07月08日

傷だらけの男たち

 インファナル・アフェアに続き、この香港映画もハリウッド・リメイクが決定したそうです(両方ともアンドリュー・ラウ監督作品なのです)。

インファナル・アフェアと言えば、レオナルド・ディカプリオさん主演、マーティン・スコセッシ監督でリメイクされたディパーテッドが先日に行われた第79回アカデミー賞で作品賞を含む4部門を受賞した作品なのですが、この映画も引き続きディカプリオさん主演でリメイク決定だそうです(今度こそ、アカデミー主演男優賞を受賞してやる!という彼の意気込みなのかな?)。


ディパーテッド 特別版 (初回限定版)


さらに、今回もトニー・レオンさん主演、共演の金城武さん、そして最近はあまりテレビで見かけない浜崎あゆみさんが日本語主題歌を担当する豪華メンバー(?)なのです。

欲望の街などのマイナーな作品まで観てアンドリュー・ラウ監督ファンになってしまったaliasとしては、この映画を見逃すわけにはいかないのですが、これだけ宣伝しやすい材料がそろっているのにいまいち世間の認知度が足りないような気がするのです。

…と思っていたら、配給会社がエイベックス・エンターテイメントとなっていました。

こちらは映画配給としては新参の会社なので、広報戦略に失敗したのかな?と勝手に決め付けているaliasなのでした。


 物語は、2003年のクリスマスの夜、連続殺人犯を追っていたポン(金城武)は上司であるヘイ(トニー・レオン)と飲み慣れない酒を飲みながら犯人の張り込みをしていた。その夜に無事犯人を捕まえることは出来たが、ポンが家に帰ってみると彼女は変わり果てた姿となっていた、しかも彼の子を身ごもった姿のままで…。3年後、刑事を辞職して私立探偵となっていたボンは、つらい記憶を忘れることが出来ずに酒浸りの生活を送っていた。一方、妻であるスクツァンと幸せな生活を送っていたヘイだったが、香港の実業家として有名だった義父が殺されてしまう。当初は強盗殺人とされ犯人らしき人物も見つかったが、固いセキュリティーがいとも簡単に破られていること、証拠品を持った犯人と見られる人物が死体として見つかったこと、強盗にしてはあまりに残忍な犯行であることに不審を抱いた妻は私立探偵のポンに捜査依頼をする。そして…。


 最初は、ハードボイルドな犯人探しの物語だと思っていたのですが、かなり前半の方で犯人は夫であるヘイだと観客に教えてしまうのです。

その展開に、身分を偽って生きていくことの辛さや、正体がバレてしまうことにより身の破滅する緊張感を画いたインファナル・アフェアの二番煎じのような映画になるのかと思っていたら、ヘイが殺人を犯した動機を探す方向へと物語は変貌いきました。

今回の金城武さんは映画の本編中、過去の記憶を忘れるために酒浸りで酔っ払っている役どころなのですが、監督が本物のお酒を飲ませ続けリアルな演技をさせたほど真に迫っているのです。そしてつらい過去が暴かれるトニー・レオンさん演技など二人の男の心が傷だらけになっていく様を画いた痛々しい物語になっていました。


 ということで、この二人に焦点を合わせ過ぎたため周りの人物の画き方があいまいになっているところや、真面目過ぎたり硬派過ぎるところが多少気になったりするのですが、美しく映し出される情景や観客を驚かそうとする脚本、男の生き様を画く切ない描写など、秀作な印象の香港映画なのでした。

2007年06月21日

殯の森

 1997年に“萌の朱雀”でカンヌ国際映画祭のカメラ・ドール(新人監督賞)に最年少で受賞した河瀬直美監督が、2007年5月27日にカンヌのグランプリ(審査員特別大賞)をこの作品で受賞したのです。

なのですが、同時期に、
ZARDの坂井泉水さんが亡くなったり、
森理世さんがミス・ユニバースで優勝したり、
ナントカ還元水の松岡農水大臣が自殺したと発表されたり、
藤原紀香さんと、陣内智則さんとの結婚披露宴が挙行されたり、
年金記録不備問題など、話題に事欠かない時期に受賞したため、ほとんどニュースでは扱われなかったさみしい作品なのです。

さらに、NHK協力で製作されたためなのか、映画館で放映される前の5月29日にNHKのBSハイビジョンで放送されてしまい、カンヌ受賞作品としては悲しい興行になってしまった映画なのでした。


 で、題名が“殯”という通常使わない難しい漢字が使われているのですが、そのため、ネットでは“殯(もがり)の森”と“殯の森”の2種類が表記され、検索結果がうまく表示できない状態になっていました。なので、最初から“殯の森(もがりのもり)”と統一表記にしておけば良かったのに…と、余計なお世話な事ばかりを考えているaliasなのでした。


 物語は、奈良県の北部の自然豊かな地に、旧家を改装して作られた軽度の認知症を患う人達が共同生活を送る施設があった。その老人の一人であるしげきは33年前に亡くした妻への思いを秘めたまま日々を送っていた。そこへ子供を亡くしたことをきっかけに離婚をしてしまった真千子が新しく介護福祉士として派遣されてくる。この仕事に自信がなかった真千子だったが、初対面では偏屈に見えたしげきたちにも心打ち解け始める。だが、しげきの妻の墓参りに出かけた森の中で、事態は思わぬ方向へ向かう。そして二人は…。


 この映画中で使われる“殯”とは、喪上がり(もあがり)という言葉が語源とされる古代の儀式の事になり、天皇や豪族など貴い身分の方が亡くなったとき、すぐに本葬はせずに、仮の場所に遺体を安置して、しばらくの間を弔うことを指すのです。

なので、亡くなった人のことを思う暗いテーマを扱っているのですが、奈良の美しい風景を切り取りながら、年を重ねた老人が子供のような精神状態に戻っていく姿や、殯の森で迷い込むところなど、主演のうだしげきさんと尾野真千子さんが巧みな演技で、生と死、そしてその狭間にあるものを見事に表現していました。


 そんなシンプルでありながら深いテーマまで画いた作品なのですが、とても物語の中に入り込みにくい演出となっているのです。

例えば、物語の冒頭があまりに地味すぎて途中で観客の方が飽きてしまうような展開や、字幕が必要になるほど聞き取りにくい方言や小さな声だったり、さらに物語の演出が不親切なため映画を観るだけでは理解しづらくなっていることなど、エンターテイメントな作品に慣れてしまった一般の人々には、睡眠へと誘う映画となっていました(おいおい)。


 奈良の美しい風景と日本独特の文化を画いていることを評価されていることは分かるのですが、相変わらずカンヌの受賞作品の選考基準が理解できないaliasなのです。

でも、
「世界の黒澤、大島と言われる中の、次の世代の代表として河瀬があると思っています」と自分で言い放つことが出来てしまう監督のセンスが一番理解できないaliasなのでした(笑えない)。

2007年06月10日

プレステージ

 この映画の日本公開が決まったころの題名は“イリュージョンVS”になっていましたが、その題名が不評だったためなのか?結局は、原題となる“THE PRESTIGE”に戻したようです。

マジシャン同士の対決を画いた作品だったため、当初はこんな不自然なタイトルにしていたのかもしれませんが、本当の理由はプレステージという名前の車や会社が多かったり、アダルトなビデオを製作している有名な会社もあるので、ネットでの検索を優先するマーケティング的な理由などから変更したのかもしれませんね。


 で、この映画はクリストファー・プリーストさんの“奇術師”という本が原作になるのですが、世界幻想文学大賞を受賞し、日本でも“このミステリーがすごい!”、“SFが読みたい!”にノミネートされていたということで、ミステリー好きなaliasとしては楽しみにしていた作品なのでした。


〈プラチナファンタジイ〉 奇術師
〈プラチナファンタジイ〉 奇術師



 物語は、19世紀末のロンドンに二人のマジシャンがいた。グレート・ダントンと呼ばれる人々を魅了させるエンターテイメントを知り尽くしたロバート・アンジャーと、プロフェッサーと呼ばれる数々の奇術を生み出しながらも人々に認められず不遇を強いられるアルフレッド・ボーデン。二人は弟子時代からの仲間だったが、アンジャーの妻がマジック中の舞台で事故死をしてしまう。ボーデンの不手際により彼女が亡くなったと思い込んだアンジャーの復讐がきっかけとなり、やがて二人は骨肉の争いに発展していく。不毛な争いが続く中、マジックの舞台での事故でアンジャーは死んでしまう。その場に居合わせたボーデンは犯人として逮捕されてしまい、彼を裁く裁判が始まる。そして…。


 マジックの裏舞台をテーマにした作品なので、マジックの洗礼されたきらびやかなシーンはほとんど無く、彼らの復讐劇を中心に画かれるのです。そして、その争いの内容が、相手に舞台に乗り込み観客の前でマジックの邪魔をしたり、タネを明かしたり子供のような喧嘩をするため、主人公の二人には全く感情移入できない構成となっています。

そして、デビッド・ボウイさん演じる“ニコラ・テスラ”という実在した人がキー・ポイントとして登場するのですが、アメリカでは有名な人物なので映画の中では何の説明もないのです。彼は発明王エジソンの下で働いていた発明家なのですが、研究の意見の相違により彼の元を去り、その後は生涯において反目しあう関係になるのです。

彼自身は変圧器の発明者として知られるのですが、彼のオカルトな発言や行動によりマッドサイエンティストと呼ばれる人物だったエピソードを絡めて、この物語の後半は混沌とした方向へ進んでいきました。



 19世紀末のロンドンを再現した美術や、ヒュー・ジャックマンさんやクリスチャン・ベイルさん、スカーレット・ヨハンソンさんの演技なども魅力なのですが、この映画の結末は決して誰にも言わないで下さい。とか、この作品はトリックそのもの。だまされるな。ということを前面に押し出したクリストファー・ノーラン監督の映画なので、その仕掛けが気になるところなのです。

一緒に観ていた友人たちはマジックを絡めたエンディングに驚かされていたのですが、aliasとしては、ミステリー小説としてみるとアンフェアな謎解きであることや、“マジック革命!セロ!!”で有名なセロ・タカヤマさんの一部のマジックが、タネでも仕掛けでも無くCG加工の編集でマジックが演出されているのと同じくらい納得がいかないのです。

観客が納得するようなマジックの仕掛けを映画の中でバラすぐらいなら、マジシャンにタネを売ったほうが金になるのかもしれませんが、こんな伏線の張り方で、このフィナーレでは、ちょっと…。


 こんな挑戦的な宣伝をしていなかったら、普通に楽しめていた映画だったのにな〜と、少し残念に思うaliasなのでした。

2007年05月20日

主人公は僕だった

人生のストーリーを書き直したいすべて人に贈る、奇想天外で心温まる感動作。


 この映画の主人公であるウィル・フェレルさんの作品は、アメリカでは評価が高く上位にランキングされる人なのですが、日本では顔が地味過ぎるためなのか?映画の公開自体が見送られ、DVD発売のみになる場合が多い人なのです。

なので、今回は、何で?日本で映画公開になったのだろう??と思っていたのですが、共演となるダスティン・ホフマンさんやエマ・ワトソンさん、マギー・ギレンホールさんなど豪華競演陣のおかげかもしれませんね(ウィ・フェレルさんのファンに怒られるぞ!)。


Snl: B.O. Will Ferrell


 物語は、毎日同じ時間に、同じ行動し、同じ歩数で歩くことを繰り返していたハロルドは、ある日突然、自分の行動をナレーションされ始めた。その知らない女性の声は自分にしか聞こえなかったが、彼の行動と心情を正確に言い表すものだった。毎日の生活をすべてを言葉に変えてしまうナレーションに彼は振り回されてしまうが、その声が、近い将来にハロルドが死んでしまうことまで告げる。そのことにより、彼は今までの平凡な人生から抜け出し新しい人生を送ろうとするが、その声の主は、彼の人生を操って最高傑作の悲劇を書こうとする小説家の声だと知る。そして彼は…。


 知らない相手から自分の人生を操られるという設定は、まるでホラー映画のような展開なのですが、実はハートフルなコメディー作品として、大人をテーマにした恋愛や人生観などが微笑ましく画かれていました。今回、この映画のシナリオはハリウッドで争奪戦が繰り広げられたほどの作品だったのですが、初の長編脚本を書いたザック・ヘルムさんという新人の脚本家だそうです。


 冒頭のような宣伝展開をしている時点で、結末が予想できてしまうような映画ですが、悲劇作家が主人公にどうやって死んでもらうか?迷っている姿と、小説家の声に悩まされ人生をあらためて見直す主人公、この2つの相容れるはずのない物語を同時に画くという、メタフィクション風のストーリーとなっています。

なので、主人公の行動をナレーションが追いかけるというシチュエーションの面白さがあるのですが、その描写を映像で表現すると物語が遅々として進まなくなるため、その表現は中盤以降になるとほとんど無くなってしまうのです。

そして、彼の行動だけでなく心情までも表現する設定になっているのですが、ナレーションに対して怒っている彼の心理描写などは画かれない不自然な設定なのです。

そのため、主人公のストーリーと、小説家の書くストーリーの相互性にも矛盾が出ていることも気になるのですが、ハロルドの何の変哲もない人生を画く小説を、最高傑作と位置づける設定自体にも疑問を感じてしまいました。


 細かい点が気になってしまうのですが、全体的にはコメディーやファンタジーな世界観だけでなく、自分の人生を喜劇や悲劇に例えるシーンなどドラマ性もある展開なので、途中で飽きることのない好印象な映画なのです。そして、お菓子職人の女性と恋に落ちる話もあるのですが、きっかけや愛を語り合うシーンなど恋愛映画としても楽しめました。


 とりあえず、映画を観終わった後に、劇場前にあるお店でクッキーやマフィンを買い占めたくなるほど、aliasの心に何かを残した映画なのでした。


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