2007年05月20日

主人公は僕だった

人生のストーリーを書き直したいすべて人に贈る、奇想天外で心温まる感動作。


 この映画の主人公であるウィル・フェレルさんの作品は、アメリカでは評価が高く上位にランキングされる人なのですが、日本では顔が地味過ぎるためなのか?映画の公開自体が見送られ、DVD発売のみになる場合が多い人なのです。

なので、今回は、何で?日本で映画公開になったのだろう??と思っていたのですが、共演となるダスティン・ホフマンさんやエマ・ワトソンさん、マギー・ギレンホールさんなど豪華競演陣のおかげかもしれませんね(ウィ・フェレルさんのファンに怒られるぞ!)。


Snl: B.O. Will Ferrell


 物語は、毎日同じ時間に、同じ行動し、同じ歩数で歩くことを繰り返していたハロルドは、ある日突然、自分の行動をナレーションされ始めた。その知らない女性の声は自分にしか聞こえなかったが、彼の行動と心情を正確に言い表すものだった。毎日の生活をすべてを言葉に変えてしまうナレーションに彼は振り回されてしまうが、その声が、近い将来にハロルドが死んでしまうことまで告げる。そのことにより、彼は今までの平凡な人生から抜け出し新しい人生を送ろうとするが、その声の主は、彼の人生を操って最高傑作の悲劇を書こうとする小説家の声だと知る。そして彼は…。


 知らない相手から自分の人生を操られるという設定は、まるでホラー映画のような展開なのですが、実はハートフルなコメディー作品として、大人をテーマにした恋愛や人生観などが微笑ましく画かれていました。今回、この映画のシナリオはハリウッドで争奪戦が繰り広げられたほどの作品だったのですが、初の長編脚本を書いたザック・ヘルムさんという新人の脚本家だそうです。


 冒頭のような宣伝展開をしている時点で、結末が予想できてしまうような映画ですが、悲劇作家が主人公にどうやって死んでもらうか?迷っている姿と、小説家の声に悩まされ人生をあらためて見直す主人公、この2つの相容れるはずのない物語を同時に画くという、メタフィクション風のストーリーとなっています。

なので、主人公の行動をナレーションが追いかけるというシチュエーションの面白さがあるのですが、その描写を映像で表現すると物語が遅々として進まなくなるため、その表現は中盤以降になるとほとんど無くなってしまうのです。

そして、彼の行動だけでなく心情までも表現する設定になっているのですが、ナレーションに対して怒っている彼の心理描写などは画かれない不自然な設定なのです。

そのため、主人公のストーリーと、小説家の書くストーリーの相互性にも矛盾が出ていることも気になるのですが、ハロルドの何の変哲もない人生を画く小説を、最高傑作と位置づける設定自体にも疑問を感じてしまいました。


 細かい点が気になってしまうのですが、全体的にはコメディーやファンタジーな世界観だけでなく、自分の人生を喜劇や悲劇に例えるシーンなどドラマ性もある展開なので、途中で飽きることのない好印象な映画なのです。そして、お菓子職人の女性と恋に落ちる話もあるのですが、きっかけや愛を語り合うシーンなど恋愛映画としても楽しめました。


 とりあえず、映画を観終わった後に、劇場前にあるお店でクッキーやマフィンを買い占めたくなるほど、aliasの心に何かを残した映画なのでした。


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「主人公は僕だった」
Excerpt: みゆき座にて昨日公開した「主人公は僕だった」を観て来ました。 平凡な国税庁職員が不幸な死を知った男が、 死を阻止するため奔走するファンタジードラマ。 自分の人生が有名作家の小説の中で進行していると ..
Weblog: ナナシ的エンタメすたいるNet
Tracked: 2007-05-20 23:27
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