2006年10月05日

ユナイテッド93

 この物語は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を画いた作品です。この事件では4機の大型ジェット旅客機をハイジャックし飛行機そのものを凶器にしたテロ行為が行なわれましたが、ただ一つ攻撃対象の目標物に届くことなく墜落した飛行機がこのユナイテッド航空93便なのです。

世界を震撼させた事件から約5年。まだ生々しさが人々の心に残るこの事件、論議され尽くしていないこのテロに対する歴史的考察、そして遺族への配慮。そんなことを考えるとエンターテイメントに部類される映画として作品にするには早すぎるのではないのか?と思ったのですが、監督の意図を知りたくなり映画館へ足を運んだaliasなのです。


 物語の冒頭では、朝のボストン管制センターの光景から画かれる。いつものように訪れる朝のラッシュアワーの中、管制官達は目まぐるしい業務をこなしていた。そんな中、一機の旅客機がコースをはずれ管制官の呼びかけにも応じなくなる。管制官はハイジャックが起こったと判断し上司に報告した結果、軍の防空センターに連絡を取り彼らは警戒態勢に入る。しかし、その旅客機がマンハッタン上空でレーダーから消える。軍、管制センター、マスコミでその飛行機に対する正誤が入り混じった新旧の情報が錯綜するが、今度は2機目の飛行機が通信不能のなりその飛行機もレーダーから消えた。そしてテレビに映し出されたニューヨーク世界貿易センターのツインビルの映像には…


 この物語は関係者の証言を元にした事件当日の光景が、ドキュメンタリー風に画かれるのです。

前半の部分では、退屈なぐらい何も起きない管制室に旅客機と通信が取れなくなってしまう情報が入り、テレビでのWTCでおきた衝撃の映像を見るところまでが画かれるのです。最初は少しの不安感じているだけの人々がだんだん動揺していく様が画かれ、予想もできないテレビからの映像が入ってきたとき、人々は現状を把握し本当の恐怖にすくみ上がることになるのです。その描写はあまりにリアルで、連絡の取れない旅客機に対して通信機に向かって話しかけることしかできない管制官達たちの無力感が漂う光景が写し出されるのです。

後半ではユナイテッド93の機内で起こったことが画かれるのですが、旅客機に乗っていた人物の中には生き残った人がいなかったため、携帯電話などで機内から家族へ向けて連絡してきたときの話を元に再現するのです。その映像にはただ泣き叫ぶ人、現状を把握できない人、あきらめる人、そして立ち向かおうとする人などさまざまな反応が画かれるのですが、実際の機内の状況を証言できる人がいなかったため、物語として遺族やこの事件に関わってきた人たち、そしてアメリカ国民としての思いを表したような映像になっていました。


 この映画の最後に驚かされるのが、エンドロールのクレジットにas himselfという言葉が羅列している事なのです。この作品では、当時の関係者達が自分の役柄で映画に出演しているのです。

今回、監督はほぼ全員になる遺族の方々からの数々の証言と、この事件を映画にする了承を得て飛行機内の物語を画き、さらに関係者へのリサーチと出演を依頼してこの映画を作ったのです。つまりこの作品は遺族や関係者たちの協力がなくては作れなかった映画だったのです。


 この映画ではテロを行なった人々を完全な悪とは画かなかったため勧善懲悪の世界観などはなく、このテロで起こった悲劇を風化させないために映像にしたという思いが伝わってきた作品でした。



ユナイテッド93
ユナイテッド93

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